板谷由夏さんは高3でモデルデビューし、歌手デビューだったりテレビ出演が決まり、ひょんなことから映画に出演し偶然が重なり、女優になったようです。
若い頃から今にいたるまで可愛いと言われる、板谷由夏さんの若い頃についてまとめましたので、ご覧ください。
板谷由夏の若い頃はモデルに憧れ高校生で読モデビュー
板谷由夏さんは若い頃もともと、ファッションが好きでファッション誌の作り手になることが夢でしたが、モデルブームの流れもあり次第に「モデルさんカッコいいな」と思うようになり、モデルに憧れを抱き始めました。
実際は高校生1年生になったくらいに、モデルに憧れ始め、高校3年生だった1994年からティーンズ雑誌の『PeeWee』の読者モデルになりました。
本当にモデルになれるのがすごい
母親と夜行電車に乗って、東京までオーディションを受けに行ったり、撮影は東京のため、週末に飛行機で東京に通う生活を送っていました。
母の進言で「地元の短大に行きなさい」といわれていたため、地元の福岡で福岡女学院大学短期大学部を卒業して、その後モデルになるために上京しています。
東京進出も何故かラップユニット結成
1995年(20歳の頃)は博多華丸さんとおたこぷーさんと『SOUTH END✕YUKA』というユニットを組んで、『SO.TA.I』をリリースしています。
ユニットを組んだのは、板谷由夏さんの意思ではなく、事務所の方針でやる方向になったそうで。当時の心境として、「モデルになるために上京したのに、なんで(福岡の)ご当地ラップやってるんだろう?」と感じたそうです。
下積みみたいなもんだ
NHK『イタリア語会話』に出演で映画に抜擢
雑誌の板谷由夏さんを見た番組ディレクターがオファーしたことで、1996年からNHK『イタリア語会話』に出演。
さらに『イタリア語会話』を見た、大谷健太郎監督から1999年映画『avec mon mari』(アベック モン マリ)のオファーを受けました。当時は演技経験もなくお芝居未経験での抜擢だったようです。
どうやら映画が公開されるまでの時期は八百屋さんでキャベツを切ったりとアルバイトをして大変だったようです。
1997年音楽番組『金髪先生』の生徒として出演していました。
なんだ『金髪先生』って
1999年『avec mon mari』で映画初出演し女優の道へ
映画『avec mon mari』で「ヨコハマ映画祭最優秀新人賞」を受賞しました。
素人が?そんなことある?
この映画で役者として映画作りに携われることに魅力を感じ、面白さにハマってしまったため女優の道に進みましたが、本人としては、「女優」としてしっくりきておらず、「女優」と言われると何年やっててもコショバユイ気持ちになるそうです。
初映画出演後に、ドラマが決まりましたが、俳優のルールがまるでわかっていないため、とても辛かったそうです。経験者ばかりの現場に24歳の素人同然の板谷由夏さんにとっては初めてのことばかりで、20代の頃はとても苦しんだそうです。セリフで福岡の方言が出てしまい、怒られることもあったそうです。
何事も最初って苦しいよね
ドラマって『パーフェクトラブ!』のことか?
26、27歳の頃に体調を崩して入院したこともあったそうで、30代になりやっと仕事が楽しいと思えるようになったそうです。
1999年ドラマ『パーフェクトラブ!』でドラマ初出演しました。
2002年には『Forbidden Love』ではサザンオールスターズの松田弘さん作詞で歌を歌っています。
結構、歌出してるじゃねーか
2005年映画『運命じゃない人』に出演。
『運命じゃない人』では第60回毎日映画コンクール女優助演賞を受賞しています。
2005年映画『欲望』では不倫する役を演じなかなかに激しかったと評判でした。
2007年映画『サッド ヴァケイション』
2007年ドラマ『ホタルノヒカリ』
2013年ドラマ『SUMMER NUDE』
2016年映画『四月は君の嘘』
若い頃の板谷由夏さんは綺麗だと言われいますが、40代となった今でもとても綺麗です。
41歳の頃の板谷由夏さん。
昔も今も綺麗ね
2020年後期のNHK朝ドラ『おちょやん』に出演。
女優の中では目立たないけど、よく見たら綺麗だな
板谷由夏の幼少期は引っ越しを繰り返していた
幼少期の板谷由夏さんは転勤族だった父親の仕事の都合で引っ越しばかりしていたため転校を繰り返していました。
転校生でも、馴染んでくると楽しいし、自分が転校生ということを忘れている瞬間もあるんですよ。でも、そんな時に友達から、『由夏ちゃんって、仲良くなっても、いつかどこかに行っちゃうんでしょう?』と聞かれて、ハッとしたり。
FRaUより引用
1年もすれば、引っ越しだったので、馴染み始めると転校の繰り返しで大変だったと語っていました。また、イジメられてもいたそうです。
子供の頃の転校は辛いな
小学校の入学式で、周りのみんながフリフリのワンピース姿を競う中、自分は紺のブレザーにネクタイを締め、ネイビーとグリーンのタータンチェックのスカート、ハイソックスに足元はローファーだったこと。ピンクとは無縁で、着るなら赤だったこと。
mi-molletより引用
中学校は北九州市立引野中学校を卒業し、高校は九州国際大学付属高校を卒業しています。
九州国際大付属は甲子園でよく見るな
知ってる高校甲子園ばっかりじゃねーか
九州国際大学付属高校時代からモデル活動を始めたようです。そして、大学は福岡女学院大学短期大学部を卒業したようです。
変わった大学名だな。間違ってないか?
合ってるよ、たぶん
板谷由夏の若い頃の恋愛観
―年齢を重ねると恋愛観も変化していくものでしょうか?
板谷
若いときは、好きな人にずっと会えなくて、何年もたってから再会……なんて想像すらできないと思うんです。「好きならずっと一緒に居るものでしょ!」というのが若い恋愛だと思うので。でも大人の恋愛は、この映画の蒔野と洋子のように、すでにそれぞれ背負っているものがあり、自分本位で動けないことも多いから「好きだけど会えない」という状況もあるんです。
若いときは長く感じるかもしれないけど、大人になってからの2,3年は、あっという間。再会できるかどうかなんて誰にもわからないけど、離れていても相手の幸せを願うような恋もある。私も40代になって、成就するだけが恋愛じゃないことがわかった気がします。
ハルメク365より引用
板谷由夏さんは気さくな人柄で、誰からも好かれる人柄のようです。
モテそうだな
20代の若い時と、年をとるにつれて時間の経つスピードが早く感じられ、恋愛観にも違いが生じてきます。
板谷由夏さんは、モデルになった20代の頃は「女を意識する」ことが苦手で、女として見られることが恥ずかしく、男友達とも対等に、同性のように遊ぶことが好きだったそうです。
そういう奴はたいていモテるな
わかる
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