益岡徹益岡徹さんの生い立ちや若い頃について画像を中心にまとめましたので、御覧ください。
益岡徹の生い立ちと若い頃
益岡徹さんは山口県の下関市出身です。実家では5人兄弟の4番目の子供だったそうです。益岡徹さんを産む前の両親の逸話ですが、医者からは「4人目の子供は奥さんの身体がもたないかもしれない」と言われたそうです。
でも、5人兄弟ってことは結局5人生んでるんだろ
父が母に「きっと、大丈夫だから産んでくれ」と言って生まれてきた子供だったそうです。
益岡徹さんの進学した、小中学校はわかっていません。高校は下関西高校に進学し、途中で転校し、神奈川県立横浜緑ケ丘高校卒業しています。
なんで山口から神奈川に転校したんだろうな
お父様の都合じゃない?
父親の仕事の都合で神奈川県に引っ越したと話していました。この頃から映画が好きで名画座によく通っていたようです。
高校時代はラグビーに熱中していました。益岡さんの身長は181cmあります。
デカいな
高校の文化祭で8ミリ映画に出演したことが役者を目指すきっかけになったようです。
高校卒業後は早稲田大学商学部に進学しています。益岡徹さんは大学時代に演劇をしていて、黒澤明監督の『影武者』に応募するも3次審査まで残り、忙しくなると勘違いしアルバイトを辞めて、4次審査で落とされ東宝のプロデューサーに頼み込みエキストラ出演にこぎつけました。
この後から本気で役者を目指していくようになり、オーディションを受けた仲間から新宿の「スナック雑魚寝」を紹介され接客業をすることになりました。
大学で現在の妻と出会い1990年34歳の時に結婚したようです。
一方の大学生活では友人が就職活動を始めるなかで、「自分は役者になるんだから」とプレッシャーを感じていたようです。そうしたなかで、仲代達矢さんの主催する「無名塾」の存在を「スナック雑魚寝」の客から教えてもらい、応募。倍率が約200倍もあり受かるわけがないと思っていましたが、難関を見事にくぐり抜け合格を手にしました。合格を知り「役者になって売れた」くらいに舞い上がっていたようです。
益岡徹さんは1980年に無名塾に入ると厳しい稽古漬けの毎日だったそうですが、仲代達矢さんは1人の役者として接してくれたそうで、塾生の先輩には若い頃の役所広司さんがいて、飲みに連れて行ってもらっていたそうです。
途中で挫折していく無名塾仲間をたくさん見てきたようです。
益岡徹さんは舞台『ソルネス』で俳優デビューしています。当時1年目でしたが開演直前にキャストが体調を崩し、わずか30分前に仲代達矢さんから「お前がやれ」と1年目にもかかわらず、指名され出演することになり大慌てだったようです。開演を30分遅らせてプロの役者としてデビューを飾ったようです。
すごい、プロデビューだな
その日は大道具の係として待機していたようです。
仲代達矢さんからは「君は早くからは売れないかもしれないが、30代になったら役者で食える」と言われていたそうです。
仲代って厳しいイメージあるが、褒めるんだな
褒めたのとは、また違うと思うけど
益岡徹さんは30歳になるまで、無名塾で学んだようです。
なんだ辞めたのか
益岡徹さんの出演した若い頃の画像を一部見ていきます。
1979年映画『暴漢 処女を襲う!』
ポルノ系か?
1981年ドラマ『着ながし奉行』
画像左が益岡徹さんです。
見ればわかる
特徴的な目と眉は変わらないね
1982年映画『野獣刑事』
なんか、よくわからんけど益岡徹っぽいな
1985年舞台『どん底』
まだまだ駆け出しの頃か
1985年映画『テラ戦士ΨBOY』
ジワジワと露出を増やしていったんだな
1986年NHK朝ドラ『はね駒』
NHKの朝ドラ出るの早いな
1988年映画『マルサの女2』
これ、見たわ
当時話題になった
てか、眉毛濃いな
1989年ドラマ『暴れん坊将軍III』
青木昆陽役か 笑
1990年ドラマ『十三人の刺客』
たしかに、この益岡徹はかっこいいな
1992年映画『七人のおたく cult seven』
ウッチャンナンチャンのお二人が主演の映画です。
若い南原の左奥にいる男だな
みんな若いね
内村さんかっこいい
1994年ドラマ『動く壁』
なんか、笑ってしまった
1995年映画『大夜逃 〜夜逃げ屋本舗3〜』
女装、似合ってないぞ
2002年ドラマ『ナースのお仕事4』
この頃には今と変わらない益岡徹だな
2010年映画『脇役物語』で初主演
意外に主演はないのね
そりゃないだろ
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