高畑充希さんは家族がとても仲が良く、毎年お正月は実家でダラダラして過ごすそうです。
t実家は会社を経営していて金持ちという噂がありましたが、事実でした。記事の前半は実家の会社紹介で後半は高畑充希さんの幼少期のエピソードをまとめましたので、ご覧ください。
高畑充希の実家は株式会社 高畑を経営する大金持ち!
高畑充希さんは両親と祖父母と曽祖母の6人家族で兄弟はおらず一人っ子でした。犬と猫を飼っていました。
高畑充希さんの実家は大阪にあり、会社を経営しています。会社名は「株式会社 高畑」です。
明治38年に創業した岸川商店を受け継ぎ、高畑さんの祖父が昭和20年9月創業しています。本社は大阪府東大阪市長田2丁目にあります。公式ページにも記載されています。
東京営業所や九州支店もありオーストラリア、インドネシアや中国にも展開しているようです。社員数は43人で年商は15億円と記載がありました。
ガチめの会社だな
高畑は社長令嬢なのか
実家の㈱高畑は自動車用シートや椅子のスプリング等部品資材を製造販売しているようです。座り心地のいいシート素材を追求し「CHAIR-UP」というブランドを確立したようです。
椅子の内部を作ってる会社か
残念ながら2014年に祖父の高畑正則さんは他界され、お別れ会は大阪シェラトンホテルで行われたようです。
現在は高畑充希さんの父親の高畑雅彦さんが2代目社長を務めているようです。
高畑充希の実家はマンションを所有
高畑充希さんの実家の自宅でのバーベキューをしている様子だそうです。東大阪市横沼町に土地と7階建てのマンション一棟「ハイフィールド」を所有していて18戸あり家賃は8万円台~10万円台だそうです。
結構な家賃収入だな
マンション最上階は高畑充希さんの実家だそうです。大阪での撮影がある時には共演者を実家に招待することもあったようです。
高畑充希の実家の両親の教育方針は【自己責任】|父はコワモテ
高畑充希さんは1991年12月14日に大阪で生まれました。
実家の両親からは「失敗したら自己責任」で「成功したらあなたが頑張った」という家庭で小さい頃は厳しく育てられたそうです。
自分の好きなようにやらせてくれたことに感謝していると高畑さんは話していました。
高畑充希さんの父親は俳優の織田裕二似と言われていて、普段めちゃくちゃコワモテですが、親戚の赤ちゃんをあやすことが増え「充希、おれもコレほしい」と言って孫の顔が見たいといわれるようになってきた
毎年バレンタインデーには大量にチョコを作っているようで、父親に毎年チョコレートをプレゼントしていましたが、仕事が忙しくて渡せなかった時は、拗ねていたそうです。
母親は専業主婦
母親は専業主婦だと言われています。
高畑充希さんの母は女優の高畑淳子さんではないか?と言われたりしていますが、違います。
そら、息子逮捕されてるし違うだろ
おい
母親は和食が得意で高畑充希さんは母親の作る山芋の入ったお好み焼きが大好きで実家に帰るといつも食べるそうです。
高畑家は仲が良くて、みんなお酒好きで強く、なかでも祖母が一番強かったそうです。
幼少期は集中すると周りが見えなくなる性格
小さい頃の高畑充希さんはすぐにいなくなる子供で、いつも両親が探していたそうです。
一人で遊ぶことが好きで興味があるものを見つけると、すぐにフラフラと行ってしまう癖があったため、首根っこを掴まれていたそうです。そのためか10代の時は一人行動ばかりしていました。
集中すると周りが見えない性格だったようです。活字が大好きで電車で本を読んで、そのまま駅のホームでも読みながら歩いていたので駅員さんによく叱られたり、学校では読書を始めると時間を忘れて、外は真っ暗になっていたり、物語の中に没頭している時間が幸せだったそうです。
なので誕生日やクリスマスは図書券でプレゼントでもらえることが一番うれしかったそうです。
東大阪市出身で東大阪市立永和小学校出身です。現在は閉校してしまったようです。
小学生でオーディションを受け落ちまくり
両親がミュージカルや舞台好きで、高畑充希さんも幼い頃からでミュージカルに連れて行ってもらっていました。8歳の時に大竹しのぶさん、菅野美穂さんが出演していた2000年の上演した舞台『奇跡の人』の演劇を観て、あまりの衝撃に客席から立てなくなったそうです。
そのため小さい頃からミュージカルオタクとなり、一人で全部の役をやって、一人ミュージカルをしていたほどで小学校2,3年生の時に舞台女優になると決意したようです。
小学生時代にはコーラス教室にも通っていました。
これは金持ちだ
同級生が安室奈美恵に夢中になる中で高畑充希さんは『レ・ミゼラブル』のサウンドトラックばかり聴いていたそうです。
芸能事務所を片っ端から受けて全て落ち、舞台のオーディションを手当たり次第に受けて落ち、東京に行って受けたオーディションも落ち何十個ものオーディションに落ち続けました。
そのため、プロに近づくためにどうしたらいいかと考えた末に、早稲田大学の演劇研究会に入ることを目標にしました。そのため、小学生ながら塾に通い猛勉強して、中学校は四天王寺中学校へ進学しています。
中学時代は軽音部に入ってバンドに没頭して、文化祭で演奏していたそうです。
中2でオーディションに合格しデビュー
中学2年生の時に『山口百恵トリビュートミュージカル プレイバック part2 〜屋上の天使』オーディションに応募し、9621人の応募者の中から見事主演に抜擢されました。まさかグランプリに選ばれるとは思ってもみなかったようです。
稽古が楽しすぎて、稽古がお休みの日が嫌いで「永遠に稽古していたい」「永遠に稽古場に行きたい」と明かしています。
天職だな
オーディションは母親といつも一緒に受けに行っていましたが、デビューのきっかけとなったオーディションだけは実家が法事でバタバタしていて両親から「そんなもん付いて行けるか!」と言われたので、「絶対に受けてやるねん!」となり一人で新幹線に乗って日本テレビの麹町のスタジオまで受けに行ったことを明かしています。
四天王は中高一貫校のため、普通は四天王寺高校へ進学しますが、中学を卒業すると上京しました。
こういう行動力が芸能人になれるんだな
その割に、人前に出て、スピーチしたりすることが苦手で、学級委員長に立候補する人の気がしれないと思っていたくらいの学生だったそうです。
意外に人前が苦手だった芸能人て多いよな
中学を卒業して上京するにあたり、母親から「毎日夜に電話するように」と約束し、23歳まで続けたそうです。「もうやめていい?」と聞いた時はショックを受けていたそうです。
東京で寮生活が始まり、八雲高校へ入学。高校1年生で2007年から2012年に渡って8代目ピーター・パンを務めました。
高校時代は疲れていたのか、終礼まで寝ていたり、校則が嫌いで短いスカートで登校し先生に追いかけられて走って校舎内を逃げ回ったと話していました。
高校時代の自分を振り返って当時は「トゲトゲ」していたと話しています。
2007年映画『ドルフィンブルー フジ、もういちど宙へ』映画初出演。歌手デビューも果たし、2010年に法政大学ギャリアデザイン学部へ進学しました。
2013年NHK連続テレビ小説『ごちそうさん』で大人気になりました。
自宅を公開していた
高畑充希さんが自宅を公開していました。
実家じゃなくて一人暮らしの家だろ
洋服好きで古着がクローゼットにたくさん入っているようです。
靴も好きでどんどん、増えていっているようです。
これ寝室なの?全然わからん
高畑充希さんの実家は会社経営をして、マンションを所有するお金持ちでした。そして、高畑さん自身も中学卒業後に女優として売れるという最強の家族でした。
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