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松重豊の若い頃の画像が強面!恐怖でオーディションから逃げたことも

松重豊の若い頃の画像が強面!蜷川幸雄のオーディションから逃げたことがある

松重豊さんの若い頃に演じた多くの配役が迫力の必要なものだったようです。

若い頃の画像を中心に、松重豊さんの昔についてまとめましたのでご覧ください。

目次

松重豊の若い頃の画像が結構な強面フェイス

2001年放送ドラマ『明日があるさ』に出演した若い頃の松重豊
Twitterより引用
Twitterより引用


松重豊さんの若い頃は画像で見ても中々怖い系のお顔をされています。

若い頃はほぼほぼ、悪い系統の役柄ばかりだったそうで、昔も今もコワモテのイメージがあります。

松重豊の学生時代|福岡の中学・高校時代と高校卒業後に上京

松重豊の高校時代の柔道部だった頃の画像
Twitterより引用


松重豊さんは福岡市立香椎第二中学校を卒業しています。

中学時代にパンクロックにハマったそうです。当時パンクが流行っていたこともあって友人の影響でセックス・ピストルズを聴き始めロック音楽に傾倒していったそうです。

ミュージシャンを目指そうとは思いましたが、音楽は全然できないし、髪型も決まらないから早々に諦めたようです。

10代、20代の時はライブハウスによく見に行っていたそうで、音楽の趣味は自分の影響を受けた息子さんにも受け継がれているそうです。

相撲が好きで、力士に憧れていた時期もあります。中学時代、相撲雑誌のコーナーに葉書を沢山書いて応募して実際に憧れの人に会って力士になりたい旨を伝えたそうです。ちゃんと高校行って大学行って勉強してからにしなさいと諭されたそうです。今は役者になりましたが、今でも大相撲ファンです。

高校は名門の西南学院高校へ進学(偏差値70)

松重豊さんは福岡県の名門西南学院高校の出身です。偏差値は70あります。かなり優秀だったようですね。

高校時代の部活動は中学・高校と柔道部に所属していました。この高校時代に石井岳龍(石井聰亙)監督の影響を受けて映画に興味を持ったようです。

石井聰亙監督がパンクミュージシャンと映画を撮っていたことで、映画の世界に行ったら面白いかもと思ったそうです。西南学院高校時代には自主制作の映画を文化祭で上映させています。

早稲田大学に落ちて明治大学へ入学


演劇を志すため、当初は石井岳龍さんも在籍した日本大学芸術学部への進学も考えましたが、学費の都合で断念。早稲田大学と明治大学に演劇専攻があったため受験し、早稲田は不合格で明治大学へ進学しました。

明治大学文学部文学科へ入学後、演劇学を専攻し学び始める中で演劇仲間と劇団を見て回ったそうです。東京は色々な舞台が上映されていたため、とても刺激的だったそうです。

当初は映画監督志望でしたが、作品を観ていくうちに役者志望になりました。

1983年新宿にある「スペースデン」で初舞台を踏んでいます。三谷幸喜さんが旗揚げした「東京サンシャインボーイズ」に参加していました。

大学を卒業すると周りで役者を諦める仲間が多かったようですが、松重豊さんにはまだ未練があって大学卒業後も続けました。

甲本ヒロトと同日に始めた下北沢「珉亭」でのアルバイト

松重豊と甲本ヒロトが昔アルバイトをしていた「珉亭」
Twitterより引用


松重豊さんが下北沢にある中華料理屋さん珉亭」でアルバイトをしていたことは有名な話です。アルバイト経験が高じて現在も餃子作りにはこだわりを持っているそうです、

当時のアルバイト仲間には甲本ヒロトさんがいて、同じ日にバイトを始めたと公式ブログに綴っています。きっかけは大学の同級生のツテで紹介されたみたいです。映画を撮る話になった時に主役に甲本ヒロトさんを紹介されました。それでお金が必要でアルバイトを一緒に始めたらしいのですが、結局お金が足りなくて撮影の話は無しになったようですが…

当時のアルバイト時代をブログでも回顧されていました。

松重豊の若い頃のバイト先の画像

珉亭はその日その日の日払い制、

当時の珉亭は土日なんか殺人的に忙しい。

バイトがはねて店でビール飲んで、

寿湯って銭湯が隣にあってひと汗流し、

日当握って濃い酒を飲みに行く。

松重豊公式ブログ修行が足りませぬより引用

当然学生時代にはお金がなかったため蜷川幸雄さんの大学卒業してからは一番安かった蜷川スタジオのオーディションを受けました。

松重豊はその昔に蜷川幸雄の劇団に所属|オーディションが怖すぎて帰宅するも合格通知

松重豊の若い頃の画像
Twitterより引用


大学を卒業後は3年間蜷川幸雄さん主催のNINAGAWA STUDIO」に所属していました。

とにかく所属するのにお金がかからなかったからオーディションを受けましたが、松重豊さんの前の受験者の時に蜷川幸雄さんが机を飛ばしてブチ切れたことで怖くなった松重豊さんはセリフを1行言っただけで「すみません、もう覚えてません、帰ります」と言って帰ったそうです。

ところがその1週間後に「合格通知」がきたため、一応行ったところ、蜷川さんからセリフを覚えていなかったことを罵倒されたようですが、背が高いことが理由で合格だったそうです。

恐怖のあまり稽古中に逃げ出してプールへ行った夏の思い出

蜷川幸雄さんが怖すぎて、稽古中に逃げ出してしまったことがありました。夏の暑い日だったので目黒のプールにその足で泳ぎに行ったそうです。

プールで泳ぎながら「役者人生は終わった…と物思いにふけっていたそうです。

その後、意外にも蜷川幸雄さんの方から「お前出るか?」と言ってくれたそうで、関係は崩れることもなく、「師匠と呼べるのはこの人しかいない」「本当に感謝しています」と話していました。

俳優として、一日に複数の現場に行けば役柄も違い、暴力的な役の後に、優しい人や、コミカルな人物を演じたり、何者かになることが楽しいそうです。蜷川幸雄さんからも役者は振り幅の多い役を演じ分けられないといけないと言われたそうです。

蜷川幸雄の演技は下手すぎ!

蜷川幸雄さんは師匠で感謝こそしている松重豊さんですが、ラジオでは「恐ろしく芝居の下手な演出家」だと蜷川幸雄さんの演技力について酷評していました。

もう下手なのよ!自意識の塊で…(蜷川幸雄の)演技指導で『(蜷川幸雄が)こんな風にやるんだよ!』と言って見せてくる演技が著しく下手。

だから師匠から直接的に演技を学んだわけではなく、色々な人の演技を見て学んできたそうです。

松重豊は若い頃から嫁に支えられてきた30年の役者人生

松重豊の若い頃をツイートした画像
Twitterより引用
松重豊が映画『らせん』に出演した若い頃


転機となった作品が、映画初出演となった1992年の『地獄の警備員』ですが、まだ俳優業だけで食べられるようにはなっていません。この頃には既に結婚をしていたと思われます。嫁は大学時代からの友達で27歳の時に結婚した女性です。性格的にはドライな感じらしいです。

建設現場で転落した正社員時代を経ての役者復帰→アルバイト生活

20代後半の時期には食えなさすぎて俳優業から撤退し、建設現場で正社員として1年ちょっと働いていました。

先輩俳優の勝村政信さんからの誘いで役者に戻ったそうです。「一緒にやりたい」と言われた言葉が強く残っているそうです。

建設現場から転落し、たまたま落ちた所だけ機材もなく、奇跡的に骨折の怪我だけで助かったこともありました。結局、勝村政信さんきっかけで俳優の道に戻ることになりました。

役者復帰をしても30代半ばまでは俳優業だけでは生活できずに、アルバイトをしていたそうです。

30前半までバイトやってました。本出すくらいやった。何十個って感じですね」

Sponichi Annexより引用

この頃は結婚して子供さんも生まれているので、生活もそうですけど、なによりも気持ち的に大変そうですよね。不安だったと思います。

とにかく波風を立てない夫婦生活を送ってきたそうですし、娘と息子との関係も良くて熟年離婚とかは全然想像出来ないそうです。

松重豊の現在
Instagramより画像引用


インタビューで奥さんについて話されています。

―それは、やはり松重さんが今に至るまで俳優を続けてこられたのも、そこに妻の存在があったからだと。

松重:この仕事から足を洗おうと思ったときも、戻ったときも、幸いなことに女房がずっと横にいてくれたからじゃないでしょうか。そのときどきに、女房がどういうリアクションをしてくれたかによって、ここまでこれたというか。

―松重さんは、『地獄の警備員』に出演する少し前に、俳優の仕事を休業されていたこともあったそうですね。

松重:とにかく、いついかなるときにも、ひとりっきりにはならなかったということが、大きかったんじゃないかと思いますね。男というのは本当に、女房によってどうにでもなる、という気がするんですよ。僕の場合も、財布のヒモは向こうが握っているし(笑)、仕事に関しても、業界の人間じゃないからこそ「おもしろい/おもしろくない」とはっきり言ってくれますしね。

僕のように女房主導で生きている男は、ある意味、すごく幸せなんじゃないかな

PINT SCOPEより引用

感謝の言葉をインタビューで述べられています。嫁さんに支えられながら、俳優活動を行っていった結果、多くの作品に出演して脇を固めまくる中で、『踊る大捜査線』シリーズに出演したり、『デスノート』に出演したりとヒット作品への出演も果たしています。

松重豊さんの身長は190㎝ありましたが、昔でこの高身長は珍しく、190㎝を超えてくると着られる衣装が限られてくるために自前の衣装を持って行ったこともあるそうで、敬遠されないように当時のプロフィールは189㎝で記載していました。

ある程度役柄も固定されてしまっていたようでしたが、最近は売れてきて少しずつ違った役柄のオファーが来るようになったそうです。それというのも深い演技ができる長年のキャリアを積んできたからだと思われます。

松重豊と言えばやはり『孤独のグルメ』

『孤独のグルメ』に出演する松重豊の似顔絵
Twitterより引用


2012年から続く『孤独のグルメ』で世間の認知度も一気に高まりました。

『孤独のグルメ』もシリーズとなって2019年現在もシーズン8が放送中です。

スタッフも若手の方が増えたようで、松重豊さんの年齢も61歳になって、自分の胃袋との戦いだそうです。食べるロケだから、本番前に絶食をしたり普段の食事で調整をしていたり体型は腹筋ローラーを使ったり毎日散歩を心がけてキープするようにしているそうです。

『孤独のグルメ』のオファーの内容を聞いた時、「おっさんが飯食ってるだけの番組何が面白いの?」経歴の汚点になると思ったらしいです(笑)

松重豊は若い頃を経て現在は嫁と家庭菜園|白髪の俳優としても人気が上昇中

現在の松重豊が写ったバーベキューをしている写真
Instagramより画像引用

松重豊さんが嫁と結婚して30年。その前にも数年間同棲もしていて19歳の時からのお付き合いなので40年近いお付き合いをしているパートナーです。夫婦仲もよくて、ずっと喋っているそうです。

小さい畑を借りて、夫婦で野菜を育てていて、夫婦で食べる量は十二分に確保できてしまうみたいです。現在は2人の子供も自立したので、犬と猫を飼って可愛がっているそうです。

ほんとに老後の様な生活に思えてしまいますね。

松重豊さんは食べる仕事をしているため、犬の散歩と筋トレは体力維持のために行っていて時間にして1時間、5~6㎞は必ず歩くようにしているそうです。

地方に行った時には地元のスーパーマーケットに行ってその土地の食べ物や、インスタントラーメン、調味料を探すのがお好きだそうです。

料理をしていて、カレーは複数のスパイスから作る手作りのカレー創作が楽しいそうです。

60歳の手前になって、周りの同年代を見ても定年だったり、過渡期を迎えつつあると実感がある様ですが「なんか新しいことをしなきゃいけないな」と思い始めているそうです。

白髪がかっこいい俳優松重豊

長らく続けてきた白髪染めをやめて、テレビにも白髪で出てくることが増えた松重豊さんですが、その姿がかなりの人気です。

白髪と黒髪の両方で使い分けて役者をしていけたらとお話ししていました。

仕事もそうですし、プライベートなど、何事にも常に前向きな姿勢が伝わってくるので素晴らしい人だと感じました。

松重豊のプロフィール

  • 名前:松重豊
  • 生年月日:1963年1月19日(61歳)2024年現在
  • 出身地:福岡県三潴郡筑邦町(現在は久留米市に統合)
  • 身長:186.7cm
  • 血液型:AB型

兄弟はおらず一人っ子のため、母親は松重豊さんの名前の出ているテレビは何でも録画してチェックをしているそうです。身長が年とともに縮んでいると話していました。

松重豊の若い頃まとめ

松重豊さんはヤクザの役が多い印象ですが、実際に若い頃からほとんどがそういった強面役だったみたいですね。40代に入った頃には刑事役が混ざるようになったんだとか(笑)

松重豊さんは音楽好きで、中高時代はパンクロックにハマってその影響で映画にも興味を持つことになりました。

今でもロックが好きで海外ロケに行った時には、みんなが舞台を見に行っている時に一人で、ライブハウスに行ったと話していました。

27歳で結婚した嫁さんとは40年近い付き合いで、売れてないときにも支えてくれて感謝しています。子供達とも大きな問題が起きることもなく仲良く、過ごせてきたそうです。息子が同業者にならないでよかったみたいですね(笑)

2人の子供も就職し今は夫婦二人で仲良くやっています。

今でこそ俳優で成功されている松重豊さんですが、なんだかんだ自作で映画を撮ったり劇団に入ったり、その後諦めずに俳優活動とアルバイトを続けたりと行動しまくっている人生でした。

演技だけでなく、最近はおしゃべりの方でも評判が高いので、そっちの方のお仕事も増えてくるかもしれませんね。

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