磯村勇斗さんは静岡県沼津市出身です。小さい頃から目立ちたがり屋で人を楽しませることが好きで、エネルギーに溢れる少年だったようです。今回は磯村勇斗さんの大学・高校・中学までの学歴と俳優として、芽が出るまでの役者人生の過程についてまとめましたので、ご覧ください。
磯村勇斗は桜美林大学芸術文化学群を中退!
磯村勇斗さんは地元の沼津西高校を卒業後に上京し桜美林大学の芸術文化学群の演劇ダンス専修に入学しますが、大学3年生で中退しています。
『徹子の部屋』で大学2年で中退したって言ってたぞ
それくらいいいよ
磯村勇斗さんの在学当時の芸術文化学群は町田キャンパスにありましたが、現在は東京ひなたやまキャンパスに移転しているようです。
偏差値は37です。
やっぱ勉強はできないんだな
中学生の時から俳優志望でしたが、大学に進んで欲しかった両親に反対されたため、両親に納得してもらうためお芝居を勉強出来る大学に決め、双方が折り合いをつける形で進学しました。
しかし、磯村さんとしては大学に行く意味を見いだせず、このまま大学にいても成長できずに遅れを取ってしまうことに焦りを感じたため2年半で中退を選びました。
「大学を辞めることはまったく怖くなかったです。高校までは義務的なところがあると思うんですけど、大学に行くのは完全に自分の意思。だから辞めるのも自分の意思だろうと。自己責任だと思えば、気持ちは楽でしたね」
そう言えるのは、自分は俳優になるという強い意志があったから。磯村勇斗はやっぱり根っからの俳優なのだ。
ぴあ映画より引用
桜美林大学大学にはSnow Manの深澤辰哉さんが同期でいて仲良くしていました。また、磯村さんが勉強を教えてあげていたそうです。深澤さんも中退していて、現在は疎遠になっているそうです。
結局2人とも退学してるしな
2人とも目標があったからね
松田優作さんへの強い憧れがあり、当時から俳優として有名になりたい、絶対に夢を叶えるというギラギラした野望があったようです。
しかしながら突然、勝手に大学を辞めたことで両親は大激怒。仕送りは打ち切られ、一時両親と険悪・音信不通となり、アルバイトをして食いつなぎました。
アルバイトはキッチンで料理を作ったり、カフェ、引っ越し、ベルトコンベアの仕分け作業など、様々なアルバイトを経験しました。18歳で上京してからは一人暮らしで料理も好きで自炊もこなしました。
大学中退後は小さい劇場での舞台を中心に出演し、着実に実績を積み重ねていきました。その結果、自分が主演だった舞台を現在の事務所(BLUE LABE)の関係者が観てくれていて、声をかけてもらったことで所属が決まりました。
事務所所属から2年後の2015年、23歳頃に出演した『仮面ライダーゴースト』に出演したことで両親の理解を得られるようになりました。それまでは猛反対されていました。
さらに24歳だった2017年NHK朝ドラ『ひよっこ』で主演を務めた有村架純さんの夫役でブレイク。この当時仮面ライダー役の癖が抜けきらずに低い声で演じてしまい、監督からは「カッコつけないで!」と注意を受けていました。
NHKの朝ドラが決まった事を母親に報告をしたら泣いて喜んでくれて、そこからは完全に応援をしてくれるようになりました。
NHKの朝ドラって強いよな
磯村勇斗は沼津西高校の出身|ちょいワルめちゃモテだった
磯村勇斗さんは静岡県立沼津西高校出身の出身です。
偏差値は58
アホかと思いきや、意外に勉強できるんだな
前言撤回して謝れ
高校では仲の良い友達がいるという理由で理系に進み、大変だったそうです。磯村さんは試験前に追い込んで勉強をするタイプで数学が一番苦手でした。
沼津西高校の卒業生には田嶋陽子さんがいます。
田嶋陽子って『ビートたけしのTVタックル』が懐かしい…元気にしてるのか…
卒業生には有名大学へ進学する生徒もいます。
- 筑波大学
- 金沢大学
- 東京理科大学
- 青山学院大学
- 立教大学
- 中央大学
- 法政大学
めっちゃ進学校ってわけじゃないな
高校時代に『沼津演劇研究所』の門を叩いた
中学時代に自主映画の制作で得た喜びをきっかけに俳優になることを決意した磯村さんは、中学卒業後上京しようとしますが、両親に反対されて地元の沼津の劇団で学ぶことになります。
自ら劇団に電話し、週1で稽古に参加させてもらえることになりました。それが、「沼津演劇研究所」です。有名になった今でも繋がりがあり、この劇団でお芝居の基礎を学びました。
演出家の方には「お芝居やる時は『素直になれ!!』」といつも言われていました。
「相手の言葉も聞けないし、気持ちで芝居ができないから」というのが理由だったようです。
難しいな
高2だった17歳入団し、劇団の方は年配の方ばかりだったようです。
劇団に所属して舞台に上がり始めます。
17歳の時に初のキスシーンに挑みました。お相手は55歳の方でした。
真面目なシーンなのに、お客さんからはくすくすと笑い声が聞こえたようです。
高校ではそれなりの進学校に在籍していたため、進路指導では「海洋生物について学べる大学を志望」と嘘をついていました。大学時代のパートでも述べましたが、両親は俳優を目指すことに大反対でした。そのため親との話し合いで、演劇を学べる桜美林大学大学へ進学しました。
高校時代はやんちゃだった磯村勇斗
学生時代にはスクールカーストの上位も最下層も経験したことがあると気になるコメントもありますが、中学高校の6年間はバスケをしていて高校時代は女子から「ハヤト様」と呼ばれるほどモテモテでした。
ただ、ちょっと、やんちゃだったようでインタビューでも
磯村 ダメか(笑)。でもエモい思い出ってなんだろう。友達と毎日遊んでたんです、高校時代は。本当、いつもふざけてたんです。お弁当を食べる時間がすごく好きで、購買室の前にテーブルが3つぐらいあるんですよ。でも、そこを使えるのは3年生だけっていう暗黙のルールみたいなものがあって。それを高1のときに無視して、テーブルを使っていたら、3年生が「おい、テメエら」ってやってきて。
清水 うわ。エモいわ。
磯村 そこからしばらく3年生対1年生の日々が始まったんです。
ぴあ映画より引用
1年生の時に3年生とモメてたようです。
結構根性ありそうだな
その他にも、ワックスや整髪料の使用が校則で禁止されていたが、校則を破ってヘアセットしていました。髪をセットして頭髪検査に臨んだところ教頭先生が激怒しました。
しかし、教頭先生も髪にグロスをつけていたため、磯村さんは猛反発して放課後まで抗議していたそうです。
若い頃は、それくらい血の気が多くないとな
あとは性格的に幼い頃から目立ちたがり屋でバスケ部では派手なプレーばかりを練習していたそうです。
磯村勇斗は沼津市立第一中学2年の時に『沼津のハイジ』を制作
磯村勇斗さんは沼津市立第一中学校を卒業しています。
中学2年生の時に『沼津のハイジ』という自主映画を自分の家にあったビデオカメラで撮影し脚本や編集を担当して、自らハイジ役をやるなど、積極的に取り組みました。
上映会を終えると拍手喝采で高評価の手応えを得たことで、とても気持ちよく、自分の作った作品が評価してもらえることに喜びを感じました。
その結果、俳優の道を選びました。
監督じゃないんだな
監督にも興味があったようですが、最終的には自分の目立ちたい願望に負けて俳優を選んだそうです。
中学時代もモテモテだったようで、同じバスケ部に「モテ」のライバルに中西くんがいたそうです。
他校でバスケ部の試合をした時にどっちが多くメールアドレスを聞かれるのか勝負をしていました。
そして中学生の時に自分のケータイで自撮りした写真でJUNON BOYに応募したこともあったようです。
よっぽどモテて自分に自信があったんだな
芸能人向きね
小学生時代のエピソード
磯村勇斗さんの出身小学校は沼津市立第一小学校です。
小学3年生から6年生までクラブチームでサッカーをしていました。
小学校の卒業式では一人一人が、壇上で卒業証書を受け取り、一言夢を発表しましたが、磯村さんは「お笑い芸人になりたい」と言い放ちました。
小さめの炭酸の缶をいつも「勇斗これ、飲めよ」ってくれてたが、最後にもらった1週間後くらいに祖父が亡くなってしまってお礼を伝えられなかったことが心残り。
友達の持ってた、人の顔のレゴを盗んだことがある
うわ最悪、それはダメだ
幼少期の画像
8歳離れた兄がいて、いつも兄にケンカを売っていたが相手にされませんでした。幼少期は「サル」と呼ばれていたほど、騒ぐし、落ち着きがなく、勝手にどっか行く、言うことも聞かない少年でした。
元気なのはいいこと
幼稚園時代がモテ期のピークと語っており、女の子全員を一列に並ばせてキスしたエピソードがあります。
やば…
一夫多妻とか言うのもうなずける
後は、幼稚園の頃、母が作ってくれたお弁当に入っていたかぼちゃの煮物が大の苦手でした。
かわいい
まとめ
磯村勇斗は…
- 沼津市立 第一小学校を卒業(2005年)
- 沼津市立 第一中学校を卒業(2008年)
- 静岡県立 沼津西高校を卒業(2011年)
- 偏差値は58
- 高校時代はやんちゃで、モテた
- 沼津演劇研究所で芝居を学んだ
- 俳優を目指したかったが親に反対され
- 桜美林大学へ進学
- 偏差値は37
- 芸術文化学群の演劇ダンス専修
- 大学同期に深澤辰哉(Snow Man)
- 俳優を本気で目指すため大学を中退
磯村勇斗さんは俳優になりたい気持ちを燃やし続け、両親の反対を押し切って有名俳優になりました。好きな言葉は「人生一度きり、やりたい事をやるのみ。」だそうです。
人生思い切って行動して夢を叶えた磯村勇斗さんに今後も注目です。
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