町田啓太さんはの出身校や劇団EXILEに入るまでの育ってきた過程について高校を中心にまとめましたので、ご覧ください。
ちなみに高校では、かなりモテたそうです。
町田啓太は日本航空第二高校の出身
町田啓太さんは石川県にある日本航空第二高校を卒業しています。
現在は「日本航空高等学校石川」に変更しています。
偏差値は42
石川県の日本航空って甲子園で見かけるイメージがあるな
少年時代からパイロットに憧れていたため、中学卒業後は地元群馬を離れて寮に入りました。
中学の時点で行動力すごいな…
単純に飛行機かっこいいなパイロットかっこいいという動機だったそうです。
高校での寮生活は規則が厳しく、テレビはなかったようですが、観たかったドラマや映画のDVDを実家から送ってくれたのでパソコンで鑑賞していました。
親元を離れて自分で洗濯をするようになって、洗濯にハマったそうですが、家族・両親のありがたみがわかったそうです。
大切なことだな
また、寮に入って副寮長を務めたそうです。
小さい頃から夢だったパイロットになるための基準を満たせない視力の低下や金銭的な事情でパイロットを諦めました。
高校2年のコース選択時に、航空機の構造などを学ぶ、メカニックコースに進みました。
町田啓太さんの高校の学費にお金がかかりすぎたため、町田さんの妹は親から国公立に行ってくれと言われていたそうです。
妹はどんな気持ちだったんだ…
町田啓太さんは野球と剣道を主にやってきましたが、別のスポーツにチャレンジしたくなり、高校からダンスを始めてダンス部キャプテンを務めました。
コンクールにも出場するなどダンス部に熱中していて、航空関係の道ではなくて、ダンスの道に行けたらいいなと思っていたそうです。
高い学費払った高校なのに親はどう思ってたんだ…
ただただ、ダンスを続けたい一心で、東京に行けばダンスを目一杯やれると考えて、ダンスの専門学校の道を考えていました。
高校のダンス部顧問だった畠山先生に出会いました。畠山先生は「生徒の声の意見を聞いてくれたり、生徒のために動いてくれる」先生で、「教員って素晴らしい」と感じたため、自らも「先生になってダンスを教えたい」と新たな目標ができました。
3年生になり、春の面談で担任だった畠山先生に「教員になりたい」と打ち明けると大学進学を勧められたため、教員免許を取得するためにも大学進学を決意しました。
その結果、日本体育大学体育学部へ進学し、ダンスを続けました。
目標ができたら、そこに向かう熱意がすごいな
日本体育大学では関口メンディーさんと同級生で週5は町田啓太さんの家に泊まり来るほどの仲良しでした。
大学でも町田啓太さんの女子からのモテぶりはすごかったと明かされていました。
あの顔はモテるわな
イケメンすぎる
大学でダンスサークルの活動していて声を掛けられEXPG東京校に特待生としてレッスンを受けました。
2010年8月第三回劇団EXILEオーディションで約2000人の中から合格しました。
町田啓太の幼少期は活発な運動少年だった
町田啓太さんは幼少期から乗り物が好きで、パイロットに憧れていたようです。
でも、小さい時の町田さんは保育園のバスに乗れないくらい臆病で祖母に一緒に乗って行ってもらっていました。
ゲームセンターとか遊ぶ場所のない田舎で育った。
学校が終わると自転車で外に遊びに出かけていて野球や剣道のスポーツばかりやっていたそうです。
剣道は屋内だろ
小学生から剣道やっていて2段の腕前。小6の時には剣道で県ベスト8に入ったそうです。剣道の技術は役者での殺陣のシーンで役立っているそうです。
冬にはスキーやスケートもやっていて、スケートは近所の池の天然リンクで滑っていたそうです。
自然の中で育ってきたので、自然がある開放的な場所にいるとテンション上がると明かしていました。
また、テレビもよく見ていたそうで、映画館にも時々足を運んでいたのでお芝居に対しての憧れはありました。
母親と小学校の担任の先生が友達だったので、先生からすぐに母親の名前を出されて悪いことはできなかったし、勉強も好きじゃなかったのに頑張らざるをえなかった
小学生時代に綱引き大会で全国優勝したことがあり、当時の担任の先生から優勝したことを言わなければならないと圧をかけられたようです。
全国優勝ってすごいな
かなり活発な少年時代を過ごしていたようで、幼少期の夢を追いかけて、親元を離れて航空高校へ進学したのはさすがの行動力でした。
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