美輪明宏さんは年齢不詳とも言われますが現在89歳(2024年現在)です。
前半では美輪明宏さんの若い頃のハーフな見た目や文豪三島由紀夫さんに迫られていた怪しい関係について、後半に美輪明宏さんの生い立ちについてまとめましたのでご覧ください。
美輪明宏って元気なのか?
美輪明宏の若い頃はハーフ顔のイケメン画像!漫画ジョジョに似てる噂
この写真↑は中学校時代の美輪明宏少年です!
美輪明宏の若い頃画像がイケメンすぎる・・・ pic.twitter.com/RN04rwj7qo
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美輪明宏の昔の写真イケメンすぎる pic.twitter.com/TwPPGlk3q7
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美輪明宏さんはハーフ顔ですがハーフではありません。
美輪明宏さんは1935年5月15日に長崎県長崎市生まれの日本人です。両親は共に長崎の出身だそうで、日本人です。父親は丸山作一、母親は看護師でヌメという名前です。
なので、美輪明宏さんも幼名は丸山臣吾でした。
ハーフじゃないんだな
日本人離れしたお顔立ちね
美輪明宏さんは整形もしておらず、若かりし頃を振り返っても自分のことを誰よりも美少年だと思っていたそうです。
それは自惚れではなく、実際にハーフな顔立ちの美少年だったわけで、元祖ヴィジュアル系とも言える姿で、色々な芸能人とも比較されています。
芸能人の他にも漫画の『ジョジョの奇妙な冒険』にすら似てるとも言われる美輪明宏さんです。
ジョジョに似てる声まとめ
- 美輪明宏以上にジョジョを演じられら者はいるのか…
- ジョジョっぽい…いや、ジョジョそのもの
- まじでジョジョ感すごい
ジョジョっぽいな
昔の美輪明宏で実写版できたな
大倉忠義(関ジャニ∞)と似てる声まとめ
- 大倉くんすぎる…
- 美輪明宏の若い頃が大倉さんに見えるのは私だけ?
- 大倉くんとめっちゃ似てる
『ありえへんSP』でも美輪明宏さんと大倉忠義さんが似てる話題になり、大倉さんが恐縮していました。
GACKTに似てる声まとめ
- 昔の美輪明宏って、そのまんまGACKTだよね。
- GACKTと昔の美輪明宏が似すぎて吹き出しそうになった。
- 昔の美輪明宏がGACKTに見えて驚き!
若い頃がGACKTさんに似てると言われています。ただし、美輪明宏ファンに言わせると似てないそうです。
香椎由宇にも似てる声まとめ
- 若い時の美輪さんが香椎由宇に似てるな
- 香椎由宇の画像検索してたら、若い頃の美輪明宏が出てきたんだがww
美輪明宏の若い頃|三島由紀夫との関係は濃厚だった
岡田真澄さん、田宮二郎さん、天知茂さんとも噂されましたが、美輪明宏さんの若い頃において、作家の三島由紀夫さんとの関係は切っても切れないストーリーがあります。
出会いは喫茶店での指名
出会いは美輪明宏さん(当時16歳)が喫茶店のウエイター時代に三島由紀夫さんから指名が来たそうですが、これを幾度となく拒んでいました。
マスターにお小遣い渡すからどうしてもとお願いされて、ようやく席についてもまともに取り合わず、不愛想な対応に終始していたそうです。
三島由紀夫さんには逆にその態度が気に入られて、美輪明宏さんにゾッコンだったらしいですね。
三島由紀夫からは好意を抱かれていた
三島由紀夫さんからは「天上界の美」と言わしめ、美輪明宏さんの歌を聴いて、「君は大物になる」と言われたそうです。
そんな臣吾少年に三島は、「こんなナルシストは見たことがないね。たまげたもんだ。世の中の人間の目をすべて鏡だと思っている。これはほんもののナルシストだよ」と話していたといいます。
出会った当初はお互い牽制し合い、少し突き放した感じだったようです。
AREA dot.より引用
美輪明宏さんは日活の映画俳優、赤木圭一郎さんと恋仲だったようですが、撮影中の事故で急死してしまいました。これは赤木さんの死後だいぶ経ってから美輪明宏さん本人が明かしました。その中で落ち込む美輪明宏さんを三島由紀夫さんが慰めていたそうです。
美輪明宏本人が三島由紀夫との恋仲は否定
三島由紀夫さんは美輪明宏さんのことが好きだったそうですが、片思いで終わりました。美輪明宏さんが恋人関係を否定しています。
結局、ふたりは恋愛関係になることはなかったそうですが、三島さんから言われた忘れられない言葉があると明かします。
それは「君はね、95%の長所があって、それは素晴らしいもの持ってる。だけど、あとの5%の短所がその95%の長所を吹っ飛ばすだけの最悪の短所、欠点だ」と。
そこで「へえ、素晴らしいじゃないの。そんな、95%の長所を吹っ飛ばす欠点なんてさ。名誉なことだわ。で、どういうことです?」と美輪さんが聞くと、「俺に惚れないことだ」と言ったのだそう。
Muscatより引用
三島由紀夫さんは1958年に結婚しており、美輪明宏さんが愛人という噂も立っていたましたが、三島由紀夫さんの一方的な思いというのが通説のようです。
『黒蜥蜴』で共演|キスシーンは三島由紀夫たっての願い
1968年公開映画『黒蜥蜴(くろとかげ)』で共演した美輪明宏さんと三島由紀夫さんはキスシーンがあり、美輪明宏さんがリハーサルで唇に触れずに終わらせたら三島由紀夫さんから「どうしてキスしない?」と言われ、次は軽くキスをしたところ「もっと」とせがまれたそうですが、このシーンは三島由紀夫さんが美輪さんとキスしたいがために作られてシーンだったと言われています。
美輪明宏の若い頃|昔は裕福な家庭に育っていた
美輪明宏さんは長崎県に生まれ育ちました。喫茶店や料亭を経営する両親のもとに生まれ、比較的裕福だったそうです。10歳の時に長崎原爆を経験、家業が被害を受けましたが被爆地からは少し離れていたため奇跡的に無事でした。
私立の海星中学に進学。中学一年生の時に先輩の男の子と初めての経験をしたそうです。
10代・20代の時からすでにモテまくっていたそうです。
初めての経験って何?
きくなよ
15歳で上京して銀座で歌い手デビュー|銀巴里が原点
長崎からは15歳で上京し、国立(くにたち)音楽高校に通っていましたが実家からの仕送りもなくなったことで生活が苦しくなり、働き始めました。この音楽学校に通っていた時に先生からの勧めで丸山明宏に改名したそうです。後の1971年に姓名判断から美輪明宏に改名しています。
1951年の16歳の時に歌手として進駐軍のキャンプを回って歌いギャラを得て、食いしのいでいたそうで、新宿駅での寝泊まり経験もあります。
「銀座ブランスウィック」で働き始め、そこは表向きは喫茶店でしたが同性愛者も集まるというお店でした。お店のお客に著名人も多数いたそうで、そこで三島由紀夫さんと出会ったそうです。
シャンソン喫茶「銀巴里(ぎんぱり)」のオーディションに受かり、次第に銀巴里に綺麗な人がいると噂が有名になったそうです。銀巴里には三島由紀夫さんが川端康成さんを連れてきたり、江戸川乱歩さんも客としていました。
他にも仲代達矢、遠藤周作、なかにし礼も常連客だったそうです。黒柳徹子さんも噂を聞きつけて見に行ったそうです。
デビューするもバッシングを受けた低迷期
1957年(昭和32年)美輪明宏さん当時22歳の時にフランスの楽曲『メケ・メケ』をカバーしヒットしました。
ただし、皮肉なことに有名になるにつれて、バッシングも増えていきます。同性愛者であることも公表し、その見た目と当時は珍しいファッションから「シスターボーイ」と呼ばれていました。
昭和32年頃の日本社会では、まだそういった文化が根付いていなかったため、異質と見なされて、バッシングを受け「ゲテモノ」扱いされました。
世の中に衝撃を与えた『ヨイトマケの唄』(昭和40年)
1965年(当時30歳)に発売された『ヨイトマケの唄』が再浮上のきっかけとなりました。
炭鉱の仕事現場を見た時に、衝撃を受け、炭鉱で働く人たちのことを歌にしました。
以前のきらびやかな雰囲気の衣装とは打って変わってメイクもやめて、格好をシンプルなものにして歌でメッセージをしました。
肉体労働で子供を養う同級生の母親を元に作られた曲です。40年以上の時を経て2012年の紅白歌合戦で披露されました。
ヨイトマケの唄は一時期、放送禁止の歌とされていました。
「ヨイトマケ」とは、日雇い労働者を蔑(さげす)んだ差別用語です。
OTOKAKEより引用
「ヨイトマケ」という言葉は元々は土木作業での掛け声から来ているものです。
土方、ヨイトマケという言葉が差別用語ということで長らく放送されていませんでしたが、2012年の紅白歌合戦で『ヨイトマケの唄』をついに歌唱披露しました。
ヨイトマケの唄 / 美輪明宏https://t.co/SCVfNOwSsw
— ぐらちゃん (@kumatora2) July 17, 2019
昔からやんなっちゃったときにはヨイトマケの唄か般若心経を聴いて心を落ち着かせています
この歌はなんとなく知ってるけどちゃんと聴いたことないなぁって方、是非聴いてみてください pic.twitter.com/RVZj54Wbo3
ヨイトマケには無償の愛であったり、美輪明宏さんが伝えたいメッセージには「命」や「生き方」があります。
深いの
そうか?
美輪明宏さんは「歌うことが使命」だと言い切っていますので、テレビだけでなく、舞台や色々な媒体を通して音楽や心・体でメッセージを続けています。
『砂漠の青春』という曲では悩み苦しんだ自身の青春時代を投影し、曲に思いを込めました。
美輪明宏さんから出る言葉には体験してきた辛い過去や様々な経験、思いから滲み出る深みがあり、聞く者の心を打ちます。
現在までテレビや舞台で活躍、声優としての活躍もあり、ジブリ作品に出演されています。『もののけ姫』のオオカミだったり『ハウルの動く城』の魔女だったりと、作品を残し続けています。
美輪明宏のプロフィールと若い頃まとめ
- 名前:丸山 明宏(幼名:丸山臣吾)
- 芸名:美輪 明宏(1971年より改名)
- 生年月日:1935年5月15日(89)歳
- 出身地:長崎県長崎市
- 身長:161㎝
- 血液型:A型
- 学歴:国立音楽高校中退
美輪明宏さんは日本人離れした顔つきで美少年でした。長崎から16歳で上京するも音楽高校を中退。
その後は軍のキャンプで歌ったり、銀座の喫茶店でステージに立ったりして経験を積み、1957年に『メケ・メケ』をカバーして人気がでるも、当時の日本では美輪明宏さんの容姿やファッションが受け入れられず、批判を浴びるようになります。
その後1965年の『ヨイトマケの唄』で息を吹き返し、歌詞に問題があるとして公共での放送が中々されていませんでしたが、2012年の紅白歌合戦に出場し『ヨイトマケの唄』を披露しました。
現在まで70年に及ぶ芸能生活には頭が下がりますが、2019年9月に脳梗塞で入院をされたようでして、11月には復帰して表舞台に姿を見せてくれましたが心配ですね。これからも身体に気を付けて、活躍をしていただきたいです。
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