俳優として活躍する宮沢氷魚さんは実は2世のタレントです。両親ともに芸能人で、特に父親はTHE BOOMでボーカルを務めていた宮沢和史(かずふみ)さんです。
父親からは「強くて優しい人になりなさい」とずっと言われて育ってきました。
今回は宮沢氷魚さんの父親・宮沢和史さんについてまとめましたので、ご覧ください。
宮沢氷魚は知らんが親父の方は『島唄』で知ってるわ
宮沢氷魚の父は元THE BOOM 宮沢和史!
島唄@宮沢和史&くるちの杜スーパーバンド pic.twitter.com/xfktzryZWx
— 沖縄の風景 (@coralway39) September 22, 2019
宮沢氷魚さんの父親は、THE BOOMの元ボーカルで『島唄』で有名な宮沢和史(かずふみ)さんです。
宮沢和史のプロフィールと生い立ち
- 名前:宮沢和史(みやざわ かずふみ)
- 生年月日:1966年1月18日
- 年齢:58歳(2024年時点)
- 出身地:山梨県甲府市
- 最終学歴:明治大学
宮沢和史さんは山梨県甲府市に生まれました。兄弟は妹がいたようです。
小学校は甲府市立千塚小学校を卒業していて、小さい頃は身体が弱かったそうです。
当時はTBSで放送されていた、『ザ・ベストテン』に夢中だったようで、音楽を始めたきっかけは、小5の時に白いギターを持った中村雅俊さんに憧れたことで、ギター買って練習を始めたそうです。
地元甲府市立北中学校へ進学し、中学生になると初めてバンドを結成し、中学2年生の時には作曲も始め、フォークソングを自作して弾き語りをしていました。
やっぱり小さい頃から音楽やってたんだね
ただ、中学時代は陸上部に所属していました。
なんで?
宮沢和史さん中学2年生の時、1979年に坂本龍一さんが所属していた「Y.M.O」の『Solid State Survivor』というアルバムを聴き、特に『DAY TRIPPER』に衝撃を受けたことを明かしています。
この曲はビートルズじゃなくて?
カバーらしいよ
当時は髪型も真似るなど、相当影響を受けたそうです。
そういう年代だよな
課外活動でいえば、「ラボ・パーティ」という英語を使った子ども教育の教室に通っていたそうで、中2の夏休みにアメリカカリフォルニア州・サクラメントという場所に30日間ホームステイを経験しました。
色々経験してるね
アクティブだな
高校は県立甲府南高校へ進学しています。
偏差値は62ある進学校です。
ほんとかよ
宮沢和史さんは普通科でしたが、甲府南高校の理数科は偏差値70を超えるトップクラスの進学校です。
お勉強もできたのね
高校時代はフォークソングのバンドを組んで、コンテストに出場するも、審査員から「暗い」と一蹴されてしまいました。
その後、音楽室に置いてあったシンセサイザーをいじっているうちに、シンセサイザーが欲しくなり、甲府から東京まで行き、最新のシンセサイザーを手に入れました。
シンセサイザーを演奏したり、エレキギターやアコースティックギターでも曲作りをして、音楽漬けの日々を送りました。文化祭で演奏したり、喫茶店を借り切ってコンサートを開き、この時に「自分の歌に拍手をもらう嬉しさ」を覚えたそうです。
父・和史は明治大学へ進学THE BOOM結成|ゼミの教授に説得された
高校卒業後はミュージシャンを視野にいれていたため、上京を希望していました。
その結果、第一志望だった明治大学に落ち、駒澤大学に合格するも、入学書類を失くしたようです。
わざと失くしたんじゃないだろうな?
そして、1浪して、明治大学入学を勝ち取りました。
浪人期間は音楽も我慢したそうです。
1985年明治大学経営学部へ入学しました。
大学時代は作詞作曲研究会というサークルに2年生まで所属していて、下北沢のレストランアルバイトをしていたようです。
そして、1986年11月に「THE BOOM」を結成しています。
週末の原宿の歩行者天国での路上ライブを続けて、歌うことを楽しみながら下積みを続け、約2年後の1988年12月にCBS・ソニーのオーディションに合格し、翌年の1989年にデビューしています。
宮沢和史さんは1989年に明治大学を卒業していますが、実は所属していたゼミにもほとんど顔を出しませんでした。
担当教授は宮沢和史さんがミュージシャンになりたいことは理解してくれていて、プロデビューすることが決まっていたため中退しようとしていた宮沢和史さんに対して「親のために卒業しろ」と説得し、卒業論文の締め切りは過ぎていたにもかかわらず、受け入れてくれたため、明治大学を卒業でき、卒業式にも出席しました。
いい教授だな
大学を卒業した同年5月にプロデビューしました。
1993年にシングルでリリースされた『島唄』は売上げ150万枚の大ヒットしました。この年の第35回日本レコード大賞にて『ベストソング賞』を受賞し『紅白歌合戦』にも出場しました。
ノリに乗ってるな
しかし、一部では「沖縄出身でもないのに軽々しく唄にするな」との批判を浴びたこともありました。実際は何度も沖縄に訪れ自ら沖縄について見たり触れたりし資料館にも足を運び沖縄について学び、唄にしました。
「島唄🎵」について、宮沢和史さん
— 杉原こうじ(NAJAT・緑の党) (@kojiskojis) May 27, 2019
「ひめゆり平和祈念資料館で話を聞き、沖縄戦への無知を知った。沖縄戦・第二次大戦経験者は高齢で、引き継ぐギリギリのところ。戦争で何があったか、平和って一体何か、日本がどんな間違いを犯してしまったか、この唄を通して事実・真実にふれてほしい」。5/27 TBS pic.twitter.com/U3ble432aP
1994年、『極東サンバ』を発表。収録曲の『風になりたい』が有名です。
今夜の1曲♪
— つよロック♪ (@tsuyoshi1669) October 22, 2022
風になりたい/THE BOOM
作詞 宮沢和史
作曲 宮沢和史 pic.twitter.com/px1JwHOj5P
この曲知ってるわ
1996年には南米の地ブラジルでもライブを行いました。
1997年に入り、THE BOOMの活動を一時休止し、2年後の1999年に活動再開。
『SHIMAUTA』はアルゼンチンでカバーされ、アルゼンチンのヒットチャートで1位となり、2002年サッカーの日韓ワールドカップにおいてアルゼンチン代表の公式応援ソングとして『SHIMAUTA』が採用されました。
すげー
2006年には『GANGA ZUMBA(ガンガ・ズンバ)』というバンドを組みTHE BOOMは活動休止し、その後活動を再開していますが、2014年にTHE BOOMは解散しています。
THE BOOMは14枚のアルバムを発売しました。
結構、だしてるな
2016年に頚椎のヘルニアが原因で歌手活動を引退したことがありますが、現在は歌手活動を復活させています、
宮沢和史さんはこれまでに矢野顕子・小泉今日子・SMAP・夏川りみなどに楽曲提供するなど、ミュージシャンとして活躍は多方面に渡ります。
宮沢氷魚はいつか自分の主演した作品の主題歌や劇中歌を父の和史さんに作って欲しいと思っています。
私生活では光岡ディオンと結婚
1994年に光岡ディオンさんと結婚しています。光岡ディオンさんのラジオ番組に宮沢和史さんが出演したことがきっかけだったようです。同じ1994年に長男の宮沢氷魚さんが生まれています。
宮沢氷魚さんの母のは光岡ディオンさんはアメリカと日本のハーフなので、宮沢氷魚さんはクォーターです。
クォーターってなんかかっこよく感じるよな
光岡ディオンさんについては別記事をご覧ください。
父が名付けた「氷魚」は稚魚が由来
「氷魚」は宮沢和史さんが釣り好きで命名したそうです。どうやら鮎の稚魚の氷魚(ひうお)に由来しているそうです。
全然、嬉しくないな
氷魚(ひうお)はどんな環境の変化でも対応して生きていけるそうで、息子にも「厳しい環境に対応して突き進んでいけるように」という願いが込められているそうです。
由来を聞くといい名前ね
「氷魚」という名前のせいで子供の頃から「冷凍マグロくん」というあだ名をつけられてしまって、名前が嫌だったようです。
そうなるよな
父には小さい頃から釣りに連れて行ってもらっていて、今でも年に1回は親子で釣りに出かけるそうです。
宮沢氷魚さんによれば、小さい頃はとても厳しく育てられたと語っていて、中3までは子ども用携帯で過ごしていて、らくらくフォンみたいなケータイなので3人しか登録できず、両親を登録したらあと1人しか番号登録できないため、大変だったそうです。
またお小遣いは高校生まで毎月1000円だったことを明かしています。
宮沢氷魚はアメリカ留学中に両親に内緒で芸能界入りを目指した
父も母もが芸能人で両親ともに家にいないことがあって、小さい頃は「芸能界は嫌なところ」だと感じていました。
両親は芸能人の宮沢氷魚さんですが、芸能界入りは両親の紹介ではなく、自ら今の事務所に履歴書を送り、芸能界入りしました。両親からは反対、特に父からは絶対に反対されると考えて最後まで報告しませんでした。
母親には面接前に相談したそうで、「いいんじゃない。頑張りなよ」と後押ししてくれたことを明かしています。
15歳くらいの時にそれまで興味がなかった父親のライブを観て、自分の父親が「たくさんのファンやスタッフに支えられ、この数時間で多くの人を感動させている」ことに気持ちを動かされたことが芸能界への気持ちを強くさせました。
アメリカの大学に留学していた宮沢氷魚さんは自分の人生について考えた時、「芸能界でやっていきたい」との想いが強くなり、アメリカから今の事務所に履歴書を送りました。
今では両親からは「謙虚な気持ちを忘れずに堂々としなさい」とアドバイスを受けています。
宮沢氷魚は父・宮沢和史の若い頃に似てるらしい
宮沢氷魚さんのお父様、宮沢和史さんの昔からのファンなのだけれど、若い頃のお父様にホントそっくりだなあと毎回思います。 pic.twitter.com/RM1HflF1RD
— クリエ (@k_uriei) January 25, 2020
宮沢氷魚さんと父親の宮沢和史さんの若い頃が似てると言われています。
う~ん
面影あるね
たしかに似てるかも
本物の親子ってことだな
見た目も似ていますが、進んだ道が同じ芸能界という部分でも似ています。
遺伝ってすごいね
現在は俳優として知名度が上がり、宮沢和史の息子よりも「宮沢氷魚」の名前が有名になってきました。
宮沢氷魚さんが大学を卒業したタイミングで、事務所に休みをお願いして両親をシンガポールに連れて行き、マリーナベイサンズに3泊4日で宿泊したそうです。
親孝行か
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