平成最後の大物ルーキーのふれこみで大ブレイクした岡田健史さん。本名は水上恒司(みずかみ こうし)さんと言います。
幼い頃からプロ野球選手になることを信じて疑わなかった幼少期。しかし中学・高校へと成長するにつれて周りのレベルの高さからプロ野球選手への夢を諦めざるを得なくなります。
甲子園に出場するほどの名門野球部出身の岡田健史さんの創成館高校の野球部時代や高校時代に俳優の道へ進むことになった演劇との出会いについてまとめましたのでご覧ください。
ぽっと出の俳優だな
『中学聖日記』ですごく人気がでたわね
岡田健史は創成館高校出身!高校時代からかっこいい!
岡田健史さんは長崎県にある私立の創成館高校の出身です!
創成館高校に岡田健史さん以上に有名な卒業生は現在いないようですね。
創成館高校へは2015年4月に入学し2018年3月に卒業しています。推薦にて福岡の中学校から野球部に入部しています。
野球部の他にも演劇部、吹奏楽部や体操部など全国レベルの部活動が多くあります。
創成館高校の普通科の偏差値は40となっています。
野球部は強豪校なだけあって毎日練習。盆と年末年始以外はずっと野球部の練習がありました。
岡田健史さんの入学した2015年には夏の全国高校野球大会の長崎県予選決勝で創成館高校は海星高校を破り、夏の甲子園に初出場をしました。
甲子園初戦では天理高校を破り一回戦突破しています。2017年には明治神宮大会で準優勝しています。
特待生として創成館高校野球部に入部するも甲子園出場ならず
岡田健史さんは野球部の出身でポジションはキャッチャーでした。
バッターを動揺させるために余計なことを呟いて相手の動揺を誘ったりしていたようです。
卑怯なことをしてはいかん!!
野村克也さんもやってたし、全然卑怯じゃないよ
特待生として野球部に入部した岡田健史さんですしたが、部員のレベルも高く、簡単にレギュラーは掴めずに先発出場できないことが多かったです。
高校3年生夏の大会では3回戦でスタメンで出場し4打数2安打の活躍で小浜高校に8-2で勝利しました。しかし、準々決勝ではでは波佐見高校に4-5で破れてしまいました。
結局、波佐見高校が優勝し甲子園出場。
ガチな野球部員だったのか
惜しかったな甲子園
特待生で創生館高校に入学したにもかかわらず最後の大会で甲子園に行けず、とても負い目を感じていました。
1年後輩が甲子園出場しベスト8
元高校球児すごいなあ!!!!
岡田健史くん最高にかっこいいね君 pic.twitter.com/yy5V2wvWF1— り ん ご (@kentooooooo311) May 11, 2019
創成館高校の野球部は一学年下の後輩が2018年3月に春の選抜甲子園大会に出場しました。
春の甲子園は2回戦からの登場で下関国際(山口)に勝ち、3回戦では智弁学園(奈良)に勝利し、準々決勝では名門の智弁和歌山高校(和歌山)に10-11と惜しくも敗戦しましたが、ベスト8に入る快挙でした。
後輩、強いな
岡田健史は野球部を引退後に演劇部でまさかの優勝
甲子園出場の目標を果たすことができなかったわけですが高校生活はこれで終わりではなく人生を変える演劇との出会いが岡田健史さんに待っていました。
野球部の引退後に役にハマる男子生徒を探していた演劇部の顧問の先生の誘いを受け、二つ返事で「いいですよ」と快諾。助っ人としてお願いされる形で演劇部に入りました。
岡田健史さんは夏の大会で敗退してしまい、創成館高校に野球部の特待生で入ったにもかかわらず、結果を残せずにいたところでやることもなく、何か恩返しできるのであればと考えてすぐに演劇に挑戦することを決めました。
いい子ね。それと行動力もすごい
高3で?そっから俳優?
人生わからんもんだね
校長先生が演劇部の顧問の先生に岡田さんを推薦したようですが、この時はまだ俳優とかそんな気持ちはまったくありませんでした。
デビュのきっかけは名指しで褒められたこと
演劇に参加し『髪を梳かす八月』という長崎原爆をテーマにした作品で特攻隊員を岡田健史さんは演じました。
2017年10月に行われた中地区演劇発表会では「優秀校」に選出され、翌11月長崎大会では「最優秀賞」を受賞。
さらに翌月の12月には佐賀県鳥栖市で行われた各県を勝ち上がった11校が出場した九州大会で「最優秀賞」を受賞し、演劇部の九州王者となり全国大会への出場を決めました。
この全国大会は翌年2018年に開催されるものなので、当時高校3年だった岡田健史さんは3月で卒業のため出場していません。
九州チャンピオンてすごいね
頑張ってきた野球より数か月の演劇で結果残すって複雑だな
どんどんと大会のレベルが上がっても優勝してしまうすごさと、審査員から田中健史さんの名前を出して褒められ、嬉しさや感動を覚えたことが俳優へ進むきっかけとなりました。
田中健史さんはインタビューで俳優デビューに至ったきっかけついて次のように話していました。
岡田:実は、俳優になろうと決意した大きなきっかけが、県大会の時に審査員の方から名指しでお褒めの言葉をもらったことなんです。
何十年も演劇に携わっている顧問の先生からも「名指しで褒められている人は、めずらしい」と言われて。
自分なりに取り組んだ結果が評価してもらえたことはもちろんですが、(名指しでの賛辞は)滅多にないことだと知って、よりうれしかったですね。
ぴあより引用
周りのレベルが低かったんじゃないか?
そんなわけないでしょ。九州で一番になったんだから
俳優になることを両親が反対と熱烈なスカウト
野球部引退後の演劇との出会いで、俳優になることを決めた岡田健史さんは両親に俳優を目指すことを告げましたが、猛反対にあってしまいます。
岡田健史さんに反抗期は無く、俳優を反対された時に初めて両親に反抗しました。
将来が保証されていない芸能界なので両親の気持ちは痛いほど、わかったけど「俺は俺の人生を生きたい」と両親を1ヶ月もの間両親を説得し続けて、強引に上京したそうです。
それでこそ男だ
実は中学1年生の頃からスカウトを受けていたため、自分から事務所に連絡をして所属することになりました。この1年後には『中学聖日記』に出演しているとは思ってもいませんでした。
現在の事務所からはずっと芸能界にスカウトされラブコールを受け続けていたようですが、野球に打ち込んでいたため興味がなく断っていました。
社長が毎年のように岡田健史さんの家に足を運んで、口説こうとしていたそうです。ブレずにアプローチしてくれた熱意と演劇部での出来事があったため、5年越しにラブコールが実り芸能界入りとなり、現在は「スパイスパワー」に所属しています。
岡田健史は中学時代にはモテすぎて卒業式で無残な姿に
中学時代の岡田健史さんの画像を見て「モテるに決まってる」の声が多数でした。
岡田健史さんの出身中学校は福岡市立和白丘中学です。
中1に芸能界へスカウトされていただけのことはあって、中学時代はとてもモテていたようで、卒業式の時のエピソードが明かされました。
中学時代にはモテすぎていた岡田健史さん。
卒業式に第二ボタンどころか制服のボタンは全てなくなり、ベルトまで上げてしまい、帰り道は服装がボロボロで何か事件にでもあったかのような格好になっていました。
さらに創生館高校への入学と寮へ入ることが決まっていた岡田健史さんですが、入寮時に中学の制服着用との通達が来て焦った岡田健史さんは、慌てて制服を持っている先輩に掛け合って譲ってもらいました。
先輩はモテてなかったってことか
そういうことね
まとめ
岡田健史は…
- 創成館高校の野球部出身
- 高校時代からイケメン
- スタメンの機会は少なく甲子園出場は叶わなかった
- 野球部引退後に演劇部の助っ人
- 出場した大会で九州大会を勝ち抜き九州王者に
- 審査員に褒められ俳優の道を決心し上京
- 実は中一から芸能界からスカウトされてた
まだデビューしたばかりの岡田健史さんはこれからガンガン有名になりそうな若手俳優さんなので今後に期待です。
イケメンとかもてはやされて
いつのまにか潰されてないようにな
きっと大丈夫よ
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