堺雅人さんといえば、2013年に放送されたTBSドラマ『半沢直樹』が驚異の42.2%の視聴率をたたき出し、「倍返し」が流行語大賞の1つに選ばれました。
それほど『半沢直樹』は堺雅人さんがブレイクした作品です。
また、2020年7月からは続編の『半沢直樹』が放送され、堺雅人ファンも歓喜しました!
今回は堺雅人さんの若い頃に注目し、デビューの若い頃、大学時代、高校時代をまとめました!
半沢直樹がどんなもんだと思ってたら
引き込まれてしまった…
半沢直樹の堺雅人さんもいいけど
若い頃もカッコいいから好き
堺雅人(俳優)の若い頃!画像を見ても昔からかっこいい
堺雅人さんは若い層にも人気があるみたいですね。今の堺雅人さんを見てファンになってから、若い頃の堺雅人さんの作品を見てもっと好きになることも多いです。
画像を見る限りイケメンではないな
おい、イケメンだろ
大学を中退して、役者として演劇にのめり込んで、好きなことに打ち込んでいるうちに事務所に所属して知名度を上げていったみたいです。
所属している田辺エージェンシーも堺雅人さんを特別扱いすることもなく、仕事を振って、堺雅人さんも脇役でも地道に作品に取り組んでいった結果ブレイクし有名俳優の仲間入りをしました。
堺雅人さんは演技力があって、演技から滲み出る魅力に魅了されてしまいます。
目立たない役でも持ち前の演技力や雰囲気で独特の存在感を放っていました。
ファンでなくともテレビで堺雅人さんを観ている方からは演技力が高いと言われています。演技力への低評価は見当たらないです。
でも、若手時代には監督から「笑うな!ヘラヘラするな!」とよく怒られたらしいです(笑)
そういう顔つきだよな。損な顔してるな
でもやっぱり、昔の堺雅人さんはモテたようです。
舞台で共演の富田靖子とのフライデー報道|交際5年も破局
1998年10月『ZENMAI』公演で共演した富田靖子さんとの交際が発覚したことも!
芸役者としてのブレイクは2004年のNHK大河ドラマ『新選組!』だった。しかし、世間一般に初めて名前が浸透したのは、01年に「フライデー」(講談社)に報じられた富田靖子との交際だろう。
「当時も両者は交際を認めて、結婚間近のカップルと報じられていました。舞台共演で知り合い交際期間も5年と長いものでしたが、結局はすれ違いを理由に破局してしまった。
その後堺は、竹内結子に多部未華子、新垣結衣と、もはや共演者とは必ずと言っていいほど何かしらのうわさが出てくるようになりました」(週刊誌記者)
cyzo womanより引用
羨ましい!!イケメンじゃないくせに!!
堺雅人さんは見た目と違って昔から肉食系の男子だったようです。
女に対して肉食系男子だった若かりし頃
#ブラジルTVのつぶやき 94
— ブラジルTV (@nanimokanimoTV) February 10, 2021
『若い頃の堺雅人のCM』#堺雅人#CM#ローカル pic.twitter.com/jNKEL2scko
堺が早稲田大学に入学してから所属した劇団、「東京オレンジ」の後輩が語る。
「好みの女性がいると『あのコ、いいな』と周りに言ったり、酒の席では下ネタもよく言う肉食系。でも言い寄ってくるファンに手を出すようなことはしなかった。彼女になる相手はいつも役者や裏方でした」
だが、釣った女にはエサをあげないタイプだった。
「公演直前になると集中して誰も寄せつけず役に没頭する。恋人が劇場に来ていてもそっけなくあしらうんです。当時交際していた何人もの女性が『堺くんが私を見てくれない』と言って去っていった。
ふだんデートをするのも、喫茶店に行ってそれぞれ何時間も本を読んでいる。自分の好きなことをさせてくれて、かつ尊敬できる女性が理想だと言っていました」(同)
SmartFLASHより引用
意外とチャラいじゃねーか
モテるタイプね~
現在は女優の菅野美穂さんと結婚されていますので、女性関係はないと思われますが、当時は女性に対してグイグイといっていたようで、女性遊びはしっかりとしていたそうですが、早稲田のプリンスとして女性人気が高かったにもかかわらず、ファンの女性には手を出さなかったと言われています。
どうだか
若い頃は、色々ありますよね!少しくらいは遊んでいたって、いいじゃないですか!
若い頃は女性に苦労していなかった堺雅人さんですが、お金がなくて苦労していたようです。
ブレイクするまでの若い頃ならではの苦労エピソード
今も素晴らしく顔が良いのは重々承知なのですが若い頃の堺雅人の顔面が超超超絶美しすぎるので皆さん見て#堺雅人 pic.twitter.com/dDizoIoALO
— ほん (@skist__hh) February 22, 2021
堺雅人さんは売れるまでには貧乏生活を送っていたそうです。母親からは連絡を取るたびに
「野菜は食べてるのか」と言われ、野菜は取らなければいけないものと刷り込まれていったそうです。
お金がなく、タンポポはゆがいたらどんな味がするだろう?と思い食べ思いの外美味しかったと話していました。
ドーナツ屋でアルバイトしていた時には売れ残りをもらってタンポポのおひたしとドーナツという組み合わせで食べていたこともあったとか。
それ故に食いつなぐために若い頃にアルバイトは色々やったそうです。
- 通販番組の受注のバイト
- 引越し屋、
- ドーナツ屋さん
- 美術のヌードモデルのバイト
- 警備
- コンビニ
テレビで華やかそうに見える俳優も苦労してんだな
バイト沢山経験してるね
算数や数字が大の苦手でドーナツ屋でのレジでの計算ミスやお釣りの金額を渡し間違えることが頻発していたようです。
それも1円、10円という単位ばかりではなく時には1000円単位でのミスもあったそうです。店側は結構な損害を被っていますね(汗)
また、シフト制なのに勝手に出勤してタイムカードを押して店長にめちゃくちゃ怒られたそうで、最終的にはクビを言い渡されたそうです 笑
結構やらかしてるな
警備のバイトでも人が来ないから好きな読書をしていたらバレてクビになったとか!
役者という仕事柄、仕事が入るとバイトのシフトに2,3ヶ月間入れなくなってしまうこともあるためアルバイト探しは苦労したそうです。
寿司を食べたい想いが俳優として売れる発奮材料に!
昔はお金がなかったので贅沢は出来るわけがありません。
堺雅人さんにとって「芸能界のビッグ=お寿司が食べられる」だったそうで、宅配寿司のチラシを切り抜いて壁に貼り付けて「絶対ビッグになってやる」と壁に書いていたそうです。
俳優として食べていけるまで、バイトで食いつなぐしかありませんでした。
そのため、ひたすら芝居とバイトに明け暮れていました。
感心。感心
なんで上から目線なんだよ
それでは知名度を上げる転機となった主な作品を紹介します。
堺雅人が知名度を上げていった作品
- 2000年 NHK 『オードリー』(杉本秀記役)
- 2004年NHK『新選組!』(山南敬助役)
- 2008年NHK『篤姫』(徳川家定役)
- 2012年フジテレビ『リーガル・ハイ』(古美門研介役)
- 2013年TBS『半沢直樹』(半沢直樹役)
(堺雅人さんのおすすめの作品はコチラを参考にしてみてください。)
大きく堺雅人さんが知られることになった作品が、大河ドラマ『新撰組!』の出演でした。
NHKのドラマに出演していたことも世間の認知度を高めるきっかけになっていたかもしれませんね。
しかし圧倒的な認知度は、『半沢直樹』。2013年はブレイクした俳優で圧倒的な1位でした。
2位をぶっちぎっての1位でした。それだけ『半沢直樹』の反響は大きかったです。
「平成」史上最高の42.2%の視聴率を記録しました。
最近の若い子だと『半沢直樹』がきっかけで好きになった方も多いです。
半沢直樹…結構面白いじゃねーか
堺雅人さんがブレイクする前を見てきましたが、徐々に遡ってまずは大学時代を見ていきたいと思います。
堺雅人は大学時代に早稲田のプリンスと呼ばれるも大学は中退
バイトでお釣りを間違えていたように、数学がめっきりできず国立大学は落ちますが、早稲田大学第一文学部中国文学専修に入学。偏差値も67あります。
国立落ちか
うるせーよ
文系科目はできるのね
早稲田大学の演劇研究会 「東京オレンジ」に旗揚げにも参加し、看板役者となります。
そこでは早稲田のプリンスと言われるように、若い女性たちを1000人以上集めたこともあったそうです。
演劇でプリンス役を演じたところ周りから、「早稲田のプリンス」と呼ばれるようになったらしいです。
ご本人は謙遜で周囲のからかい半分だったとおっしゃってます。
わかってるじゃねーか
そこから「小劇場のプリンス」と呼ばれるようになっていきました。プリンスは堺雅人さんの代名詞となっています。
テレビで堺雅人さんを知ったファンは当時の東京オレンジの公演を観たかったという声も多いです。演技に幅があり人気、実力ともにあった若手の役者でした。
大学時代の堺雅人に会いたい
— 遠足 (@vsCE5) 2019年7月9日
大学時代は演劇にハマってしまって講義にも出席せずに、最後は演劇の道に進んだそうです。
親にも告げずに大学3年生で中退をしてしまったので、親は激怒だったようで、そこからは7年くらい連絡も取らずに貧乏生活だったと話していました。
ご両親の気持ちは痛いほどわかる
その後、1998年頃に田辺エージェンシーにスカウトされ現在に至るまで所属しています。
2000年の『オードリー』でついに生活ができるようにもなり、NHKということもあって親や地元からの人からの反響もあって、親からも認めてもらえたそうです。
認めざるをえんわな
早稲田大学の先輩にはゴスペラーズ!同じ場所で発声練習
大学時代には先輩にあたるゴスペラーズとも関りがあったそうですね。ゴスペラーズの歌っている同じ場所で堺雅人さんも発声練習をしていたそうです。
リーダーの村上さんも演劇研究会に所属していた縁で交流があったそうですが、いつも不気味な笑顔を浮かべていて怖かったと若い頃の堺雅人さんの印象を話していました。
不気味だって(笑)
堺雅人の高校時代|宮崎南高校の演劇部出身
堺雅人さんは宮崎県立宮崎南高校の出身で偏差値は60ほどあります。
やっぱり勉強できたの
学校は8時間目まで授業がみっちりと詰まったカリキュラムでした。
高校時代から演劇部でした。演劇部へは勉強の息抜きにと、一番さびれた部活動に入ろうと思ったことがきっかけらしいです。
演劇部には部員1人だけで、その部員も卓球部のマネージャーと兼部していたため入部しました。
なんちゅー理由だ
宮崎南高校のホームページでも堺雅人さんについて言及がありました。
なんと俳優の堺雅人さんは本校演劇部出身で、自身で書かれた脚本で九州大会に進出されました。
宮崎県立宮崎南高等学校より引用
宮崎から出たスターですね。卒業写真のコメントにも大物感を漂わせるほど、ユーモアがありますね 笑
行動力はあるみたいだな
東京大学受験に失敗?記念受験で早稲田大学入学
通商産業省(現在の経済産業省)の官僚になるために東京大学が第一志望だった噂があります。
国立大学は不合格となり、記念受験で早稲田大学を受け合格したようなので、やはり学力はかなりあったのでしょう。
堺雅人は大学入試の数学の問題が難しすぎて解けなくて、解答用紙をその時の心情を短歌で埋め尽くした男です。
— か ま こ (@hoshino__mrs) 2017年3月4日
大学へ入学する前から演劇はやりたかったし、もし芝居を始めたらおそらく大学を中退する予感はしていたそうです。
堺雅人の幼少期昔から小中学校時代
堺雅人さんは神戸生まれで2年間で父親の仕事の都合で宮崎へ引っ越しました。
幼稚園の頃『みなしごハッチ』で「かべむし」という謎の役を自らの意志で演じていたそうです。
運動会のお遊戯会でイソギンチャク役だったらしいですが、リハーサルの日に図書室へ行ったらとても空いていて本を読みふけっていたらしく、その間に予行演習は終わってしまい自分の役の存在はなんだったのだろう?と幼いながらにショックだったらしいです。
ウケる
小学校は宮崎市立国富小学校出身です。
あまりに運動しない少年で心配され、少年野球に入団させられたがずっと補欠でした。素振りは綺麗だったものの最終回9回2アウトになると代打で最後のバッターになることがチームの恒例になっていたみたいです。
運動は得意じゃなかったのかね
中学は宮崎大学教育学部附属中学へ入学し中学時代はブラスバンド部でホルン担当していたそうです。
中高一貫校の学校でしたが、宮崎南高校へ進学しています。
堺雅人と小日向文世の若い頃が似てると一部で話題に!
あまりお二人が似てると意識したことはなかったのですが、ネット上の口コミを見て確かに似てるなと思いました。確かに似てるなと感じませんか?
そっくりやんか
似てるね
まとめ
堺雅人は…
- 若い頃からかっこいい
- 早稲田大学時代からプリンスと呼ばれていた
- 女性人気が凄かった
- 肉食系男子だった
- 20代はお金に苦労しタンポポを食べた
- アルバイトで食いつないでいた
- 高校時代に演劇に目覚めている
堺雅人さんは若手の頃にはお金がない時期を経験しながら有名俳優になりました。
幼稚園生から役にこだわりを発揮して、先生を困らせました。高校から演劇部に入り活動していきます。
早稲田大学へ入学後は早稲田のプリンスと呼ばれ劇団の看板役者となります。
大学を中退し、親と疎遠になるもテレビ出演を果たすようになり、認められていきました。
様々なバイトでクビも経験し、時にはタンポポを食べて貧乏生活をしのいでいました。
若い頃はお芝居が楽しかったから、特に辛いと思ったことはないそうです。
2013年『半沢直樹』でブレイクを果たし2020年7月には続編が放送され視聴率20%越を叩き出し、期待を裏切らない面白さと話題になっています。
『VIVANT』もよかったぞ
今後も楽しみだね
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