新庄剛志さんは姉と2人兄弟です。姉は今大変な状況にあり、新庄剛志さんは姉のためにもプロ野球への現役復帰を成し遂げたいと考えています。
宇宙人と呼ばれた新庄剛志さんの姉とは一体どんな人物で、どんな難病にかかってしまったのかまとめましたのでご覧ください。
新庄剛志の姉の画像は?姉は難病で病気治療中だと激白!
新庄剛志さんには2024年には54歳になる2歳離れた姉がいて、名前は「真由美」さん。
2020年4月に放送された『直撃!シンソウ坂上』の中で姉が難病で、現在も闘病中だと明かしました。
新庄氏は、2歳離れた姉が「動くと筋肉がぐーっと収縮し、肌が黒くなる難病なんですよ。95歳みたいな身体になってる」と重い病気であることを明かし、「この野球を目指すというのは姉ちゃんにも見せたいというのもある」と、現役復帰の一因となっていると語る。
livedoor NEWSより引用
新庄剛志さんの姉は既に身体の自由がきかず、ほんの数メートルの距離であっても、移動ができないと明かしていました。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)と闘病中と言われている
新庄剛志さんは明言していませんでしたが、姉の病気はALS(筋萎縮性側索硬化症)と言われています。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気です。
しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)だけが障害をうけます。
その結果、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていきます。
その一方で、体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通です。
難病情報センターより引用
ALSは指定難病とされています。日本にも1万人前後の患者さんがいるようで、現在も明確な発症原因は不明で、治療法も確立されていません。
以下の症状が現れてくるようです。
1.手や指の筋肉の力が弱って、箸やペンを握れなくなったり、腕が上がらなくなる
2.どちらかの足の力が弱くなったり、突っ張りがあり、歩きにくくなる
3.しゃべりにくくなったり、食べ物が飲み込みにくくなる
4.顔や手足の筋肉の表面が小さく痙攣する
5.上記の1~3の症状が、徐々に強くなってくる
ALS疾患啓発委員会より引用
どうやら日常生活において、少しずつ違和感や支障が出てくるようですね。新庄剛志さんのお姉さんにとってもまさかの病気だったことでしょう。
う~ん、まさかこんな病気にかかるとは思わんな
発病してから2~5年で亡くなってしまう方が多いようですが、人によっては10年以上に渡って闘病される方もいらっしゃるようです。
お姉さんも頑張って打ち勝ってほしい
現在、姉は難病と闘っている最中であると新庄剛志さんは明かしています。
新庄剛志の姉のエピソード!高校も優秀で運動もピカイチだった
新庄剛志さんの姉は偏差値76の高校に進学し、その学校でも成績は常にトップクラスでした。
姉が家で勉強をしている姿を見たことはありませんでしたが、いつも姉がテストで100点を取ってくることが不思議で「なんで勉強していないのにいつも100点とれるの?」と聞いたところ「先生の話きいてたらわかるやろ」と返ってきました。
ただの優秀な姉ちゃんじゃねーか
お姉さんは中州でスナックのママをしたり美容関係で経営に携わっていたと言われています。
運動神経も抜群で優秀だった姉ですが、姉とはあまり話した記憶がないそうです。覚えている内容も苦い思い出が浮かんでくるそうです。
優しさが仇となり姉にソフトクリームを食べられた
幼い頃から親に物をねだっても買ってもらえませんでしたが、唯一買ってもらえて嬉しかったものはソフトクリームでした。
3ヶ月に1度くらいのペースで新庄剛志少年と姉に1個ずつソフトクリームを買ってもらえました。
ところが、姉がよそ見をして歩いて人にぶつかってしまい、あろうことかソフトクリームを地面に落っことしてしまい、姉は大泣き。
可哀想に思った新庄剛志少年は姉にソフトクリームを分けてあげようと、自分の分を渡しました。
すると、少し目を離した隙に姉に全部食べられてしまうという事件が!
ヒドイ…
姉よ!それはいかんぞ!!
新庄剛志さんは今でも姉とのソフトクリームエピソードを忘れられないと明かしていました。
子供の頃のソフトクリームは大事ですよね。これは可哀想すぎます。
当時の新庄剛志少年は半分ずつするつもりだったようですが、姉への善意が仇になってしまい「こんな人間にはなりたくない!」と幼いながらに思ったそうです。
憎しみがこもってる
食べ物の恨みは怖いね
新庄剛志は難病と闘う少女と交わした約束で勇気を与えていた
新庄剛志さんは難病を患った少女を励まし、約束を交わしていたことがありました。
その少女とは北海道在住だった野々村絵里さん。
絵里さんは嚢胞性線維症(のうほうせいせんいしょう)通称:CF病という難病と闘っていました。
生まれて間もない頃から、気管支、消化管、膵管(用語解説参照)などが粘り気の強い分泌液で詰まりやすくなり多様な症状を表す病気です(図)。
ほぼ全ての患者さんが。肺炎や気管支炎を繰り返します。
細い気管支に粘り気の強い痰が溜まり、細菌が感染しやすく、感染すると治りにくいため、 炎症 が続いて徐々に肺の組織が壊れていきます。
多くの患者さんでは、膵臓から消化 酵素 が分泌されなくなり消化不良になります。
難病情報センターより引用
実は絵里さんの兄がCF症になり23歳の若さでこの世を去ってしまいました。
兄は新庄剛志さんの大ファンで「アメリカに新庄剛志を応援しに行こう」と励ましていました。
しかし、絵里さん自身も18歳の時に嚢胞性線維症(CF症)を発症してしまいました。
そんな中2004年シーズンからの日本ハム復帰と北海道移転が決まり、札幌に移った新庄剛志さんはサインしたバットとボールをプレゼントして、絵里さんを励ましました。
アメリカでの移植手術を受けるために渡米する直前で、絵里さんは新庄剛志さんにハートのお守りを渡して日本一をお願いしました。
そして新庄剛志さんは、絵里さんが帰ってきたら「このボールでキャッチボールをしよう」「病気は絶対に治る!」とエールを送り、ホームランを約束し、日本復帰第一号ホームランを見事にプレゼントしました。
しかし、1ヶ月後絵里さんはアメリカで19歳の若さで息を引き取りました。
むむ…
なんという…
この悲しい知らせを聞いた新庄剛志さんは絵里さんからもらったハートのお守りと「日本一」になることを心に誓いました。
2006年に北海道日本ハムファイターズが念願の日本一となり絵里さんとの約束を果たしました。
見直したぞ新庄
素晴らしい
新庄剛志さんはプロ野球復帰を目指してバリ島でトレーニングを重ね、
ファンから復帰を望む声があったからのようですが、難病と向き合う姉にもう一度ユニフォーム姿を見せたい気持ちが強くあると明かしていました。
そう簡単に好感度は上がらんぞ
優しい、お姉ちゃん想い
まとめ
新庄剛志の姉は…
- 2歳年上で名前は真由美
- 難病のALSという筋肉がやせてしまう病気
- 高校時代は勉強もスポーツも優秀だった
- 厚意を裏切られ、自分のソフトクリームを食べられた苦い思い出
- 難病の少女を励まし、約束を果たしていた
- 姉のためにもう一度プロ野球に復帰したい
新庄さんはやっぱり優しい人だね
根はいい奴かもな。絶対変わってるけど
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