俳優の伊藤英明さんの病気だった子供時代について紹介します。
最近では激痩せしたと言われていて、「また病気?」と疑われています。
病気だったとは知らんかった
今では肉体派なイメージもある俳優さんですが、幼い頃は病気で入院を経験して学校行事への参加も限られていました。現在は病気も完治しており、一時はアメリカに拠点を移し4年ほど住み、今は日本に戻ってきているようです。
激痩せと言われている現在と病気だった幼い頃から芸能界で活躍するまでの伊藤英明さんをまとめました。
伊藤英明が激痩せして老けたと話題になった
伊藤英明さんが「え?病気?」「激痩せした?」と話題になりました。
2023年9月8日の『人志松本の酒のツマミになる話』に出演した姿が以前の健康的な筋肉質なイメージとは違って「頬がコケてガリガリになった」と言われています。
病気というよりボディビルの大会に出場する直前の痩せ方だな
たしかに前より痩せた印象だね
それはどうでもいい
伊藤だってもう49歳だろ?
そりゃ老けるぜ
じゅうぶんカッコいいけどね
激痩せは病気ではなく役作りのため
2023年主演舞台『橋からの眺め』に出演するために10kgほど体重を落としていることがわかりました。食事制限はもちろん有酸素運動をして筋肉も意識的に落としていたそうです。
仕事のためにダイエットをしていたため、痩せた姿が話題になってしまいました。
俳優って命削ってるな
伊藤英明は幼少期は慢性腎炎の病気にかかり死も覚悟していた
伊藤英明さんは6歳の時に重度の慢性腎炎と診断されました。
慢性糸球体腎炎(慢性腎炎)は、タンパク尿や血尿が長期間(少なくとも1年以上)持続するものをいいます。
原因:免疫反応の異常によるものが多いと考えられています
症状:血尿、タンパク尿、高血圧、めまい、肩こり、むくみ(浮腫)、頭痛、倦怠感など。
治療:治療の基本は食事療養や薬物療法です。むくみが強い場合は、利尿薬を使用して血液中の塩分回水分の排泄を促します。血圧の維持に努め、症状の悪化を防ぎます。生活の上では、激しい運動や過労を避けます。
全腎協より引用
病状は深刻だったようで、死も覚悟したそうです。このままいけば、一生透析が必要となるため医者から告げられ腎臓の移植を医者から提言されていました。
もうすぐ息子が死んでしまうかもという想いもあって母には「なんであなただけ!」と病室で抱きしめられて泣いていました。
本当に病気だったのか
マッシュるー…
オイ
ァベッ
口を慎め
はい。
病気が治って何よりね
当時は伊藤英明さんのお母さんは息子の入院中毎日、神社へお参りしていたそうで、宗教にもすがるほどだったとか。
入院先では同じ年頃の仲良い子が亡くなるのも目の当たりにしていました。幼いながらに壮絶な体験をされていますね。
小学生時代は病気との戦いで3年間の入院生活
小学生時代は6年間のうち3年間は入院していました。入院中は性格上じっとしていられないことも多く、病院でもアクティブな動きをしていたそうです。ずっと点滴をされていましたが、他の入院している子供と点滴をつけたまま走り回って点滴の瓶を何本も割っていました。
最終的には走り回れないように、足に点滴をされるようになりました。
野外学習などは参加できずに激しい運動も当然厳禁。運動会への参加も6年間で1度しかありません。
食事にも制限がかけられていたため、児童が楽しみにしている給食もお湯で薄めて食べていたり、お菓子も食べられませんでした。
周りのお友達が楽しそうに、当たり前にできていることが当時の伊藤英明さんには出来なかったわけなので、苦悩はあったと思います。
人は見かけによらんな
人さまの過去はわからんものよ
学校での思い出はなく、母親に泣きながら抱きしめられていたことは覚えているそうです。
腎臓の病気のだったので、いつも尿検査がありました。母親の心配する顔を見たくなかったため、血が混じったおしっこを誤魔化すために水で薄めて血をわからないように細工していたと番組で明かしています。
おい、それはどうなんだ?
小学6年生の時に悪かった扁桃腺の手術を行ったところ慢性腎炎の病気も快方へ向かったそうです。どうやら扁桃腺と腎疾患は深く関係していたそうです。
よかったよかった
中学生で病気が治り、現在の伊藤英明がスタート
病気が治ったのは中学生の時期。
病気が治ってからはそれまでのフラストレーションを吹き飛ばすほどに、活動的になったんだとか。
他の友達と遊べるようなり、バスケットボール部に入部できるまでになりました。多少の激しい運動にも耐えられるくらいにまで良くなり、みんなが当たり前にできていることを自分も普通にできることになったことはとても嬉しかったでしょうね。
この頃は自分が無敵に感じるくらいに怖いものはなかったそうです。
そんな伊藤英明さんは何事にもチャレンジをしていく精神を持っているそうです。
伊藤英明は病気を経験し「後悔しない人生」を歩もうとしている
伊藤英明さんは大人になってもバカみたいなことを真剣にやっていたいと語っていました。
病気で死ぬ思いだった過去から、人間いつか死ぬし、やりたいことはやろうとの思いがあるそうです。
昔は食べ物にハマるとそればかり食べてしまう癖があったみたいで、ある時は1ヶ月間3食カレー漬けの日々を送り、ある定食屋さんでは店のおばちゃんから30年やってて3日連続で来たお客はあんたが初めてと言われたエピソードがあるんだとか。
遊園地でフリーパスチケットを購入したら、元を取るために20回絶叫マシンに乗り、気分を悪くすることも。
いやいや、やりすぎだろ
何事も本気ですね。
芸能界デビューするもうまくいかず肉体労働の3年間
入院をしていた時代に、やることがテレビを観ることしかなく、テレビに出ている人にすごく憧れを持ったことを明かしました。
高校を卒業後には俳優になることを心に決め、第6回「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」準グランプリを受賞をきっかけに芸能界入りました。
最初に入った事務所では色々と縛りがキツく、自分の本来とは違ったキャラ設定に嫌気がさしたこと、当時はまだ未成年でタクシーの中で事務所関係者の男性に誘われ、身の危険を感じて殴って逃げたそうです。
そんなこんなで最初の事務所は3ヶ月ほどで辞め、次に入ったのは個人事務所で、阿部純大(あべ じゅんた)の芸名で活動していましたが、売れてもいないのにお給料は貰えることが嫌で、辞めてしまったそう。その後は3年くらい、工事などの肉体労働のアルバイトで食いつないでいたそうです。
なんでそんな芸名にしたんだww
俳優・石黒賢さんの運転手をしていたこともあり、当時の月収は7万5千円で、家賃は5万5千円。バイトは禁止で仕送りありきだったことを打ち明けています。実家に迷惑かけることは嫌だったため、なんとかやりくりをしていたそうです。
そんな下積み生活を経て、焼肉屋で並んでいたところ現在の事務所の人にスカウトされて、A-teamに所属することになったそうです。
幼少期の病気で死に対する意識が強く、チャレンジしないと後悔する信念があるようで、過去を取り返すかのように、芸能界では思いっきり励んでいるそうです。
伊藤英明と言えば病気を感じさせない『海猿』での肉体美
伊藤英明さん28歳(当時)で公開された映画『海猿』で大ブレイク!
海猿ではかなりアスリート的な役柄で伊藤英明さんの代表作とも言える映画です。『海猿』がきっかけで身体を鍛え始めたそうです。本作では2ヶ月間の合宿を経て撮影に望んだそうで、肉体を極限まで追い詰めたシーンもありました。
筋肉も顔も大したことないわ!!
静かにしろよ
伊藤英明さんは肉体美を披露していて、筋肉でも有名な俳優となりました。
海猿時代の伊藤英明
この世で1番かっけぇんじゃねぇのか
ってくらいかっこいい— あーる (@HanasakiAr0324)
伊藤英明ファンからのコメントも熱いです。
伊藤英明は病気も完治しアメリカ生活を経て日本に帰国
伊藤英明さんは2016年秋からアメリカに生活拠点を置いていました。
2017年3月公開『3月のライオン』
2017年6月公開『22年目の告白 -私が殺人犯です-』に藤原竜也さんとのW主演
そして2020年には『燃えよ剣』の公開が予定されています。
また、出演CMのロート製薬『デ・オウ』ではかっこいいやら、面白いやら、攻めすぎやら、とにかくいろんな意味で好評です。
しかしあまりバラエティ番組やドラマでも見ないと思っていましたが、アメリカでは学生ビザを取得して語学学校にも通っていました。海外での活動も視野に入れてのことでした。現在は日本へ帰国し、家族のために生活しています。
アメリカとかカッコつけやがって
カッコいいから
伊藤英明の病気まとめ
伊藤英明さんは6歳の頃に慢性腎炎と診断され、小学校に通えたのは半分の3年間だけで、学校行事にもほとんど参加できませんでした。小6の時に扁桃腺の手術をしたことで病気が快方に向かい、中学では今までの鬱憤を晴らすように活発に動き回りました。
『海猿』では幼少期の病気を感じさせない健康的肉体美を披露し、人気も不動のものにして女性絡みの報道も多数されました。それほど色々と元気ということでしょう。
今(2024年現在)は病気も完治して日本で活動しています。
現在は「激痩せ」と言われていましたが、主演舞台のための役作りによる減量でした。
コメント