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齋藤飛鳥の初期の頃まとめ!乃木坂46加入当初のイチゴミルク時代を振り返り

齋藤飛鳥の初期の頃まとめ!乃木坂46加入当初のイチゴミルク時代を振り返り

齋藤飛鳥さんは乃木坂46の1期生となった今と昔ではキャラが違いすぎます。

過去の齋藤飛鳥さんは黒歴史と言えるような、甘いキャッチフレーズをぶっこんでいましたが、現在はイジられたりしない限り披露することはなくなりました。

今回は乃木坂46に加入した初期の頃の齋藤飛鳥さんを振り返ってまとめてみたいと思います。

いかじい

あしゅ

やさばあ

あすにゃん[

目次

齋藤飛鳥の初期の黒歴史「いちごミルク」な挨拶

齋藤飛鳥さんは乃木坂46加入当初は最年少メンバーで、周りには白石麻衣さんや橋本奈々未さんなどのお姉さんメンバー(どちらも7歳差)に囲まれて、活動していたため萎縮していた部分はあったようです。

その中で、初期の齋藤飛鳥さんは妹キャラのような存在で、今では考えられないキャッチフレーズで挨拶をしていました。

それが…

齋藤飛鳥の初期の挨拶「あっしゅっしゅ!あっしゅっしゅ!あっっしゅっっしゅ〜!!
中学1年生!13さい!齋藤飛鳥です!いちごミルクが大好きで貰うとものすごい勢いで懐いちゃうのでご注意ください!」を投稿
Xより引用

齋藤飛鳥さんは乃木坂46に加入した当初王道の可愛いアイドルにならないといけないと思って3、4年間は「アイドル」を作っていたと7ルールで話していました。

現在では握手会などでファンと直接触れ合う機会でリクエストされても「可愛い」ことはしないそうです。

いかじい

それで成立する齋藤飛鳥はすごいな

やさばあ

飛鳥ちゃんはなんでも可愛いの

現在はあっさりとした握手会対応

握手会は初期のそれではありませんが、媚びたりしない、まっさらな対応をしてくれる齋藤飛鳥さんにハマる人は多いです。

いかじい

ドM集団だな

初期のキャラが素の齋藤飛鳥説

齋藤飛鳥と和田まあやの初期の頃『我らの友情永遠不滅なり(齋藤飛鳥いちごみるく時代)』という投稿
Xより引用

昔は無理をしていたため、今が本当の自分らしいですが、一方で齋藤飛鳥さんはキャラ変をメンバーに相談していました。

いかじい

昔の方が素だったりして

やさばあ

それな

卒業した橋本奈々未さんの影響で今のキャラになった説はファンの中でもあるようです。

川後Pに「ロリ手羽先」と名付けられたあの頃

当時在籍していた1期生メンバー30人が川後陽菜さんによってあだ名をつけられました。

その時に齋藤飛鳥さんにつけられたニックネームは「ロリ手羽先でした。

いかじい

「ヤダヤダ」が可愛すぎ

やさばあ

川後Pのセンス好き

初期のブログと現在のブログが違いすぎる

齋藤飛鳥の初期のブログ
Xより引用

齋藤飛鳥さんのブログと言えばタイトルが長いことで有名ですが、乃木坂46が結成されて間もない頃は甘えた言葉遣いだったり、自分のことは「あしゅりん」呼びだったり、今では考えられない言葉遣いのオンパレードでした。

2012年2月5日付 公式ブログ

↓↓

うわーん(´;ω;`)
いやだいやだいやだいやだあいっ

もう、けーたい変えちゃおうかな←
まだ買ったばっかだけど←←

あんま待たせるの嫌だもん….ぶー。

好き好き大好きらぶずっきゅん((はぁと

んちゃっっ

乃木坂46 OFFICIAL WEB SITEより引用
いかじい

嫌だもん

やさばあ

好き好きラブずっきゅん

2012年2月19日付 公式ブログ

↓↓

あしゅりん型ウイルスが流行中のようです。

みなさん、くれぐれもお気をつけ下さい。

ゆーて予防できんからぬああああ。

お薬なんてないいんだぬああああ。

さて、始まりましたよ

あしゅりんブログ!

乃木坂46 OFFICIAL WEB SITEより引用
いかじい

ほうほう

2012年2月29日付 公式ブログ

↓↓

もーう、みんな好きすぎる!

ちゅっちゅ

乃木坂46 OFFICIAL WEB SITEより引用
やさばあ

いやん

2012年3月29日付 公式ブログ

↓↓

あ、あしゅりんのこと

ハニーって呼んでもいいよ( ̄^ ̄)←

そのかわり!

ダーリンって呼んじゃうもん
ダーリン好きだっちゃ////

乃木坂46 OFFICIAL WEB SITEより引用
いかじい

どうした齋藤飛鳥

2012年4月25日付 公式ブログ

↓↓

あしゅりんだけ見てくれたら嬉しいけどね///にゃん ♪

乃木坂46 OFFICIAL WEB SITEより引用

そして2014年には高校生になって、少しづつ文章に落ち着きが出てきたように思います。

キャピキャピっとした文章は徐々に鳴りを潜めていき、現在では甘い感じの文章はなくなりましたね。

齋藤飛鳥の初期とキャラ変後のブログの比較
Xより引用

それでも齋藤飛鳥さんらしい言い回しは健在です。

そして、ブログの更新回数も年に数えられるほどになりました。

公式ブログの更新頻度が年々減少

  • 2011年 21回
  • 2012年 134回
  • 2013年 82回
  • 2014年 48回
  • 2015年 20回
  • 2016年 14回
  • 2017年 7回
  • 2018年 4回
  • 2019年 2回
  • 2020年 1回
  • 2021年 2回
  • 2022年 2回(10月時点)

2011年に乃木坂46が結成されて、11月から個人の公式ブログがスタートしているため、2011年は21回の更新でした。

現在の齋藤飛鳥さんのブログ更新率は乃木坂46内でも1位、2位を争うほどの低さです。

いかじい

順調に回数は減っているな

やさばあ

それが今の飛鳥ちゃんっぽさでもあるよね

いかじい

甘やかしはいかん

やさばあ

あの星野みなみちゃんでさえ2020年は3回もブログ更新してるよ

齋藤飛鳥のアンダー時代が長かった選抜履歴と初期画像が可愛い!

可愛い齋藤飛鳥
Instagramより引用

齋藤飛鳥さんは現在は乃木坂46のエースとして君臨していますが、乃木坂46加入当初は選抜に入れないことが多く、アンダーメンバーとして苦悩する日々が続きました。

フォーメーションにおいて1列目、2列目、3列目とセンターポジションを選抜とアンダーそれぞれで経験しているのは齋藤飛鳥さんだけです。

齋藤飛鳥のアンダー時代に『乃木坂ってどこ』で頑張っていた時
Xより引用

齋藤飛鳥の選抜履歴

  • 1st 選抜
  • 2nd アンダー
  • 3rd アンダー
  • 4th 選抜
  • 5th アンダー
  • 6th アンダー(センター)
  • 7th 選抜
  • 8th アンダー
  • 9th アンダー
  • 10th アンダー
  • 11th 選抜
  • 12th 選抜
  • 13th 選抜
  • 14th 選抜
  • 15th 選抜(センター)
  • 16th 選抜
  • 17th 選抜
  • 18th 選抜
  • 19th 選抜(Wセンター)
  • 20th 選抜
  • 21st 選抜(センター)
  • 22nd 選抜
  • 23rd 選抜(センター)
  • 24th 選抜
  • 25th 選抜

1stシングル『ぐるぐるカーテン』では選抜にメンバーに選ばれて3列目の真ん中。

齋藤飛鳥の初期の『ぐるぐるカーテン』のチェキ画像
Xより引用

2ndシングル『おいでシャンプー』ではアンダーで『狼に口笛を』の3列目。

初期の頃の『おいでシャンプー』の齋藤飛鳥
Xより引用

3rdシングルは『走れ!Bicycle』はアンダー曲『涙がまだ悲しみだった頃』では1トップの伊藤寧々さんよりも目立つ勢いで2列目に入り、『海流の島よ』で初のセンターを務めた。

『涙がまだ悲しみだった頃』の齋藤飛鳥
Xより引用

4thシングル『制服のマネキン』は選抜で3列目。

5thシングル『君の名は希望』はアンダー曲『13日の金曜日』で最前列。

『13日の金曜日』の齋藤飛鳥は幼くて美少女感が凄かった
Xより引用

6thシングル『ガールズルール』はアンダーで『扇風機』で初のアンダー曲センターになりました。

7thシングル『バレッタ』選抜に選ばれ、3列目。

8thシングル『気づいたら片想い』再びアンダーメンバーとなり『生まれたままで』でフロント位置。

9thシングル『夏のFree&Easy』はアンダーで『ここにいる理由』の1列目。

10thシングル『何度目の青空か?』はアンダー曲『あの日 僕は咄嗟に嘘をついた』で1列目

「齋藤飛鳥は『あの日 僕は咄嗟に嘘をついた』の衣装が一番可愛い」という投稿
Xより引用

11thシングル『命は美しい』選抜に復帰し3列目。『命は美しい』以降のシングルから全て選抜メンバー入りとなり人気も高まっていきます。

乃木坂46 11thシングル「命は美しい」キャンペーン企画の齋藤飛鳥のポスター画像
Xより引用

12thシングル『太陽ノック』選抜メンバーで3列目

『太陽ノック』の時の齋藤飛鳥
Xより引用

13thシングル『今、話したい誰かがいる』選抜メンバーで初の2列目で初福神メンバーになりました。

14thシングル『ハルジオンが咲く頃』選抜2列目の福神メンバー

ハルジオンが咲く頃の齋藤飛鳥
Xより引用

15thシングル『裸足でSummer』でついに選抜のセンターを獲得し、齋藤飛鳥の人気は上昇気流に乗っていき乃木坂内での快進撃が始まりました。

16thシングル『サヨナラの意味』は大好きだった橋本奈々未さんのラストシングルで、センター橋本さんの後ろで2列目のポジションになりました。

17thシングル『インフルエンサー』では選抜メンバーとして1列目となりました。

いかじい

1列目って言っても既にセンターやってるしな

18thシングル『逃げ水』でも選抜で1列目。

19thシングル『いつかできるから今日できる』では西野七瀬さんとのダブルセンターを努めました。

20thシングル『シンクロニシティ』では選抜メンバー1列目。

21stシングル『ジコチューで行こう!』は3度目のセンターポジションを獲得。

22ndシングル『帰り道は遠回りしたくなる』は当然1列目でセンター西野七瀬さんの左隣でした。

23rdシングル『Sing Out!』では4度目のセンター

24thシングル『夜明けまで強がらなくてもいい』は4期生遠藤さくらをセンターに迎えてのフロントメンバー入り。

25thシングル『しあわせの保護色』は白石麻衣さんのラストシングルですが、当たり前に1列目。

齋藤飛鳥さんの選抜歴を追ってみると、乃木坂46の人気メンバーの中では激しい浮き沈みを経験した叩き上げのような存在となっています。

現在のフロントメンバーの中ではアンダー時代も長く、一番苦労してきたメンバーと言えそうです。

まとめ

「齋藤飛鳥はアンダーだった初期から今や乃木坂のエースになった」という投稿
Xより引用

齋藤飛鳥は…

  • 初期はキャピキャピのいちごミルクだった
  • あっしゅっしゅー
  • ロリ手羽先とあだ名をつけられた
  • 初期と今のブログでの言葉遣いにギャップありすぎ
  • 始めの頃はアンダーで活動することが多かった
いかじい

昔の齋藤飛鳥をもう一度見てみたいけどな

やさばあ

今も昔も齋藤飛鳥であることには変わらない…
キャラが前と変わったとしても

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