マツコデラックスさんは高校時代に趣味で女装を始めて、お呼ばれされることがあり小遣いを稼いでいました。
美容学校を出て美容師、雑誌編集者を経て引き籠りを経験し、ひょんなことからテレビ出演することになりました。
マツコデラックスさんの昔や画像についてまとめましたのでご覧ください。
マツコっていつの間にかテレビでよく見るようになったな
素の姿はあまり想像したくないよ
マツコ・デラックスの昔の姿やすっぴん画像がスゴイと話題
わーお
今は有名人だからいいけど、当時だったら絶対に関わりたくない
マツコ・デラックスさんの昔の姿の画像は今以上にパンチが効いていて衝撃を受けますが、
幼少期のマツコさんは子供っぽさのない、冷めた子供だったと語っていました。
小学生で目覚めたマツコ
千葉市立園生(そんのう)小学校へ通っていました。
マツコデラックスさんは子供の頃から大人びていて、小5の時にファミリーコンピューターが発売(1983年)されるも、ゲームにハマル周囲を冷めた目でみていました。
その一方でマツコさんの幼少期には既に同性のいとこに惹かれていたそうで、小学生の時には男性を意識していました。
小さい頃の将来の夢はスチュワーデス、女政治家だったと話していました…がしかし、小学生あたりで既に無理だと気付いたことも明かしていました。
早くに目覚めていたんだな
小学校3年生頃から母親の口紅を塗り始めて、学芸会で女装をして第一歩んでいました。
小学生の頃欠かさず読んでいたのは女性週刊誌。ドラマ『おしん』にもはまっていたそうです。
子供の頃からトーク力が抜群だったため、いじめを受けることもなく、ヤンキーをはじめ様々な人種の同級生たちと仲は良かったそうです。
喋りは身を助けるな
しかし、マツコさん自身は不登校を経験しています。周りに合わせることに疲れて、学校が嫌になったことを明かしています。
辛そうな過去いっぱいありそう
千葉市立小中台(こなかだい)中学を卒業。
小1年で同性に興味がで始めて中学時代には異性に興味がないことを自覚したマツコさん。
そして、女装家としての活動し始めたのは高校時代の頃でした。
マツコ・デラックスは高校時代に女装家スタート
マツコ・デラックスさんは千葉県立犢橋(こてはし)高校を卒業しています。偏差値は47です。
高校では元SMAP木村拓哉さんと同級生でした。
まさか、木村もあんな男がバラエティを席巻するとは思ってなかっただろうな
1年で木村拓哉さんは代々木高校に転校してしまったみたいですが、一緒に屋上で授業をサボった仲でした。そして、今もとても仲が良いみたいで、プライベートでもあったりするみたいです。
キムタクとお近づきになりたい
女装を本格的にやり始めたきっかけは、資生堂のフリーマガジン『春椿』を見たことでファッション・メイクに興味を惹かれたことがきっかけみたいです。
マツコは自身の“キャラ”の誕生秘話を告白。
「高校卒業する年ぐらいかな?遊びに行くときに女装していたのよ。完全に趣味だったの」とし、「そういうことしていると、目立ってくると、イベントとかパーティーやっている人に『ちょっとステージ上がってよ』って言われるようになってくる。
小遣い稼ぎにやります、みたいな感じでやったりとか、女装仲間が自分でやっているイベントにゲストでちょっとやってくれないってところから、商売みたいになってきたわねっていうのが始まり」と明かした。
Sponichi Annexより引用
田町駅のコンビニのトイレで着替えてクラブに行っていたそうで、両親には女装のことは話さずにいたそうですし、今も自分の口からは伝えていないません。
マツコデラックスの誕生だな。高校時代が転換期だったわけだ
マツコ・デラックスの昔の仕事は美容師や編集者!その後実家で引きこもり
マツコ・デラックスさんは高校卒業後に東京マックス美容専門学校に通っていたため、美容師免許を持っています。一時期美容師として仕事をして、雑誌編集者になりました。
『Badi』(2019年1月で休刊)の雑誌編集者となり、『Badi』では5年ほど働きましたが、人間関係が原因で退職し仕事を辞めた後は実家で引きこもり生活となりました。
この時20代後半です。
それはゲイ雑誌『バディ』(テラ出版)の編集者を辞めた後、20代後半のころ。実家へ戻ったマツコは約2年間の引きこもり生活を始める。
『バディ』時代の同期で、おネエ系映画ライターのよしひろまさみちさんはこう話す。
「心配してた何人かが連絡を取っていたみたい。あたしも何度か“生きてるの?”ってメールしたけど、“ダメ”とか返ってきたことも」
引きこもり生活中、マツコは、自分より不幸な人を見つけて救われたい、と思い、数年ぶりに高校の同級生に連絡をとった。
「今、何してるの?」「どこの会社で働いてるの?」「結婚してるの?」──それぞれの個人情報を聞き出しては、部屋でひとり、年収や既婚といった要素から“幸せランキング”を作っていった。
最終的には60人以上のリストが完成。そのランキングの最下位にいたのは、他ならない自分だった。
引きこもりは本格化した。雨戸は閉めっぱなし、部屋にはCoccoの歌が大音量でかかっていた。
<人は強いものよ そして儚いもの>(『強く儚い者たち』より)
マツコは彼女の歌に救われて、ギリギリの精神状態をなんとか保っていた。トイレ以外の時間はすべてベッドで過ごした。ある日、両足で立ちあがろうとしたら、10分間もかかった。
NEWSポストセブンより引用
実家で水道水を飲んでいたら、父親から「働かない奴は水を飲むな」と怒鳴られた時もあったそうです。
お父さんの気持ちもわかるけど
マツコは相当病んでたんだな
今でこそ、バラエティで人気者になっているマツコさんですが、昔は引きこもっていた暗黒時代が存在し、どん底から這い上がった過去がありました。
引きこもりからの転機は中村うさぎから見出されたこと
引きこもり生活を送っていまいしたが、マツコ・デラックスさんの編集者時代のコラムを読んでいて目を付けた中村うさぎさんがマツコさんを対談相手に指名し、そこでの喋りがウケて「あんたは書くべき人間」と言われコラムニストとしての道へ進みます。
当時はそれだけでは食べて行けず、借金やアルバイトをしながら、少しずつ週刊誌などのオファーも増えていったそうです。
マツコさんは貧乏だった時代にいよいよお金が無くて生活費に充てるため、家にあるCDやらビデオを売るために大きいリュックを背負って、黒い服で自転車を漕いでいました。
その全体のシルエットが自転車に乗ってる熊に似ていたため「ボリショイ」というあだ名がついてしまいました。
ボリショイサーカスの熊か…想像つくな
面白いあだ名
マツコ・デラックスの最初のテレビ出演はフジの『エブナイ』
マツコ・デラックスさんのテレビ初出演は2000年のフジテレビ『エブナイ』でした。当時28歳。
2005年にはひょんなことから東京MX『5時に夢中!』にゲスト出演。
2009年には『マツコの部屋』がスタート。
この番組なんか気味悪かった記憶が…
2010年頃から少しずつテレビで見かけるようになってきました。これまで10年ほどで、テレビタレントとしてかなりの売れっ子になっています。
見た目どおり身体が大きい印象はありますが、多くの人が「面白い」と言っていることが印象的です。
秀逸な例え話や的を射たツッコミが面白い
一部で偉そうだという方もいらっしゃいますが、話し方は優しい口調ではないですからね。
現在のマツコ・デラックスを作ったのは徳光家
新宿2丁目時代に知り合ったミッツ・マングローブ(徳光和夫の甥)さん。
その繋がりで『5時に夢中!』初代の司会だった徳光正行(徳光和夫の次男)さんが話を通したそうです。
『5時に夢中!』出演者の高山善廣さんが急病で、代役を立てなければならない状態だったところをプロデューサーに「面白いヤツがいる」とマツコさんを紹介。
そこで出演したマツコさんの放送回が話題になり、この縁がなければテレビタレントとしての今はなかったとマツコ・デラックスさんは話していました。
東京MXがテレビへのきっかけだったこともあり、その縁もあってギャラも他局よりも抑えめで現在も出演しているそうです。
人生何があるかわからんもんだな
まとめ
マツコデラックスは…
- 昔のすっぴん画像がおっさん
- 小学生時代に男性に目覚めた
- 高校時代に趣味で女装を始めた
- 美容学校を卒業し、美容師になった
- 雑誌編集者として働いた
- 職場の人間関係の悪化により退職し引きこもりへ
- 中村うさぎの勧めでコラムニストへ
- ミッツマングローブとの縁でテレビ出演
- 徐々にバラエティで注目を集めるタレントに
昔は自分の趣味で女装をしていましたが、仕事として出演するようになってからはプライベートで女装をしなくなったようです。
マツコ・デラックスさんのテレビ進出で、女装家がテレビで活躍できることの証明となったようで、その界隈では希望の光だそうです。
なんとなく、マツコはメンタルが大丈夫か心配だ
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