柄本佑さんの家族は5人家族でした。2012年に安藤サクラさんと結婚したことで、安藤家が加わりさらに、超豪華になりまるで映画のような家系図となりました。
柄本佑の家族構成は個性豊かな5人家族
柄本佑さんは芸能一家です。
- 父親:柄本明(俳優)
- 母親:角替和枝(女優)
- 姉:柄本かのこ(映画関係者)
- 本人:柄本佑(俳優)
- 弟:柄本時生(俳優)
姉の柄本かのこさん以外は全員役者業という芸能一家です。
全員業界人か
それでは、一人ずつエピソードを見ていきます。
父の柄本明は「東京乾電池」座長|2013年に強盗に襲われた
柄本明さんは1948年11月3日生まれの76歳です。柄本さんの両親は映画、演劇が好きだったようです。高校卒業後は一度一般企業に就職していますが、演劇の世界に飛び込みました。
1976年にベンガル、綾田俊樹と「東京乾電池」を結成。『ひらけ!ポンキッキ』のお兄さんを務めたのも1976年からでした。
ちなみにNHKで大道具のアルバイトもしていたようです。
1998年映画『カンゾー先生』では、第22回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞しています。
1993年『空がこんなに青いわけがない』では監督を務めています。
2006年大河ドラマ『功名が辻』では息子(次男)の柄本時さんと親子共演。
2011年6月 紫綬褒章を受章。
2013年には南米ペルーでNHK『旅のチカラ』の収録でペルーに訪れた時、強盗に襲われ撮影機材などが奪われたようですが、柄本さんとスタッフに怪我はなかったそうです。
そんなことあったのか
2019年11月には旭日小綬章を受章しています。
2020年2作目のドラマ『半沢直樹』では政権与党の幹事長の悪役を怪演しました。
父・柄本明は下北沢で不審者で通報された
柄本明さんは下北沢の街を自転車こぎながらセリフをつぶやいていたら、通報されたことがあるそうです。
服装もボロボロで見るからに怪しかったようです。
怪しそうだもんな
柄本佑さんの話では父親は息子の学校とか、成績のことを聞くことは全然なかったそうで、家では映画とか演劇の話ばかりしていました。
柄本佑さんが「この映画観たよって」いうと、父親はすごく食いついてきて、「面白かった」っていうとその映画をすぐに観に行っていたそうです。
素直だな
家族で会話をするためには、映画を観ておかないと会話が成り立たないと柄本佑さんが話していました。佑さんもかなりの数の映画を観ていて、年間250本以上映画を映画館で観ていたこともあり、今でも年間100本以上は観ているそうです。
自宅にはDVDが500本以上あるようです。
一方で、普通の話ができないため、無言の時間があり、その時間が面白くて柄本明さんが突然笑いだしたりもするそうです。
こえーよ
ご飯とか旅行の話になると、父の柄本明さんは「お前が決めて」となるようです。
本当に演劇バカなんだな
現在、俳優として活動している息子たちには役者・柄本明からはダメな時だけ連絡がくるそう、「あんなことやってるんだったら、やめれば?」とメールを送ってきたこともあるそうです。
こわっ
母の角替和枝はタバコを吸うカッコいい母ちゃん
角替和枝(つのがえ かずえ)さんは静岡県富士市出身の1954年10月21日生まれです。
残念ながら、2018年10月に64歳でこの世を去りました。「原発不明がん」が原因だったそうです。
原発不明がん…?
1)原発不明がんとは
がん情報サービスより引用
原発不明がんとは、転移したがんがあるとわかっていても、最初にどこから発生したかわからないがんのことです。
大変そうな病気ね
角替和枝(つのがえ)さんは駒澤大学卒業後、東京乾電池に所属し、NHK朝ドラ『ハイカラさん』『おひさま』に出演し1981年26歳の時に、柄本明さんと結婚しました。
3人の子供を産んでいますが、32歳の時に長男・佑、34歳の時に次男・時生を産んでいます。長女に関しては生年月日はわかりませんでした。
弟の柄本時生さんによれば、角替和枝さんはタバコを吸う母ちゃんで、病に倒れてからもタバコを欲して吸っていたそうです。
かっこいいね
いや、吸うなよ。家族が止めろよ
柄本佑さんは役者として自分の演技に不満があった時に母親から言われた名言があり、「役者は待つのとがっかりに慣れることが仕事」だと言われました。
その他に母から「挨拶はちゃんとしろ」「台本は現場に持っていくな」と言われたためその教えを守っている。
素晴らしい
母親に叱られる時、柄本佑さんはいつも笑いをこらえるのを我慢していたそうで、「なんで勉強しないんだ?マリオとかゼルダから何を学んだんだ?諦めない心だろ!?」と本気で怒っている姿を見て、笑いをこらえていたことを明かしています。
姉の柄本かのこは映画関係者
柄本佑さんには姉がいて、名前は「柄本かのこ」さんです。仕事は映画の制作部で仕事をしているようで、一般人のため、情報がほぼありませんでした。
弟の柄本時生は俳優
弟の時生さんからめちゃくちゃ好かれていて、周囲にはうちの兄ちゃんは世界一カッコいいと話していたそうです。
兄貴からしたら恥ずかしいだろ
時生さんは昔、宮大工になりたいと思っていて、中学高校時代は、意外にもやんちゃで親が呼び出されて叱られていた少年時代でした。
2008年、『俺たちに明日はないッス』で映画初主演し、2010年ドラマ『Q10』は柄本明さんと親子共演しました。
2008年ドラマ『私は一本の木に恋をした』で共演した、入来茉里さんと結婚しましたが、2022年6月に離婚しています。
柄本佑さんも弟の時生さんのことが大好きで、とても心配していました。
友達が多くて、社交的な時生さんですが、ある日夜中の2時頃に出掛けようとしていたから、聞いてみると「渋谷で友達が飲んでて呼ばれたからちょっと行ってくる」とのことでしたが、時生さんが酒が飲めないことを知っていたので、そういう姿を見ると兄として心配になり、可哀想と思うようです。
兄弟にブチギレる柄本明
柄本佑さんと弟の時生さんは「ET×2」という演劇ユニットを組んでています。父の柄本明さんが演出で舞台をしていますが、ある舞台の1幕と2幕の間に楽屋に来た柄本明さんが、柄本佑さん、柄本時生さんともう一人の共演者を座らせて、小さい声で一言「ちゃんとやってくれよな」と言った後、自分の顔面をボコボコと殴り、出ていったそうです。
意味わからん…怖っ
これから2幕が始まるのにもかかわらず、テンション落ちまくりだったそうです。
柄本佑は子供の頃映画監督になりたかった
柄本佑さんは子供の頃は映画監督になりたかったようです。
映画デビューはオーディションでしたが、役者への憧れは全くありませんでした。
オーディション受けてるじゃねーか
母の角替和枝さんのマネージャーが仕事を辞める最後に、「(柄本佑さんに)ピッタリの役があるからどう?」と両親に話がいき、書類選考が通り、監督面接に本人が行かなければいけない状況で、母親から「どうせ落ちるし、面接に行ったら生で監督に会えるよ」と言われ、「生の監督に会いたい」と思い面接に行った結果、審査に通って映画デビューになりました。
やりたかったんだろ
安藤サクラの家族構成と家系図もすごい
安藤和津って女優だっけ?
安藤サクラさんと柄本佑さんが結婚したことで、安藤家と柄本家が家族になり豪華すぎる家系図となりました。まず、安藤サクラさんの両親は俳優の奥田瑛二さんとエッセイストでタレントの安藤和津さんです。
柄本佑さんは義理の父親の奥田瑛二さんのことを「パピー」と呼んでいたことがあるそうです。
そして極めつけは安藤和津さんの父親が元法務大臣の犬養健さん。そして祖父は元総理大臣の犬養毅さんです。
元首相の家系なのか…
華麗なる一族ね
安藤サクラの父は元法務大臣・犬養健
犬養健(いぬかい たける)さんは、1896年7月28日に東京で生まれた日本の政治家であり、小説家でもあります。彼は、元内閣総理大臣の犬養毅(いぬかい つよし)の息子として生まれ、学習院を経て東京帝国大学に進学しましたが、途中で中退しました。大学時代には白樺派の文学に影響を受け、作家としても活動を始めます。彼の代表作には「一つの時代」や「南京六月祭」などがあり、小説家としても一定の評価を受けていました。
その後、政治の世界に足を踏み入れ、1930年に父の犬養毅さんが内閣総理大臣に就任したことをきっかけに、立憲政友会から衆議院議員に初当選。父の秘書官も務め、政治家としてのキャリアを積んでいきます。第二次世界大戦中、ゾルゲ事件に関連して起訴されるも無罪となるなど、波乱の経歴も持ち合わせています。
戦後は公職追放を受けますが、その後解除され、民主党に参加。1952年から1954年まで吉田内閣で法務大臣を務めました。しかし、1954年には「造船疑獄事件」で指揮権を発動し、事件の捜査に介入したため、辞任することになります。
犬養健さんは、政治活動とともに文学活動を続け、作家としての面も持ち続けました。彼の人生は、政治家としてだけでなく、文学者としても非常に多彩で波乱万丈なものでした。1960年に64歳で亡くなるまで、日本の政治と文化に大きな足跡を残した人物でした。
堅苦しいけど、すごいひとなんだろうな…
安藤サクラの曽祖父は元首相の犬養毅
犬養毅さん(いぬかい つよしさん)は、1855年4月20日に岡山藩の藩士の家に生まれ、後に日本の内閣総理大臣となった政治家です。学問に励み、慶應義塾で漢学を学び、新聞記者としても活躍。特に「西南戦争」の報道で名を馳せました。記者としての経験を活かし、政治の世界に進出し、1890年の衆議院議員選挙で当選。その後、42年間にわたって連続17回の当選を果たし、政界に深く関わりました。
犬養毅さんは、立憲改進党や憲政本党などの政党に参加し、また文部大臣や逓信大臣としても重要な役職を務めました。特に1913年には「護憲運動」を展開し、憲政擁護を訴えて桂太郎内閣を辞職に追い込んだことで「憲政の神様」と称されるようになりました。
1929年には立憲政友会の総裁となり、1931年には第29代内閣総理大臣に就任しました。彼の内閣では昭和恐慌からの脱却を目指し、経済的な復興を進めましたが、満州事変において軍部と対立しました。そのため、1932年に発生した「五・一五事件」において、海軍青年将校らによって暗殺されました。
犬養毅さんは、ジャーナリストとしても政治家としても強い信念を持ち、「言葉による戦い」を貫きました。彼の姿勢や言葉は、今でも多くの人々に影響を与え続けています。
犬養毅は知ってるぞ
日本史で習ったからな
何した人?
それは覚えてない…
基本情報
- 生年月日: 1855年4月20日
- 出身地: 岡山県
- 就任時年齢: 76歳
- 内閣総理大臣在職期間: 昭和6年12月13日~昭和7年5月16日(156日)
- 通算在職日数: 156日
犬養毅さんは、政界における影響力を長年にわたって持ち続け、様々な政党を立ち上げるなど、近代日本の政治に大きな足跡を残しました。
安藤サクラの家系図ヤバいな…
お母さんも有名女優だし
サクラさん本人も有名になっちゃたし
おれもこの家系に生まれたかった
おまえみたいな下品な奴には無理
安藤サクラさんの祖父、曽祖父は小説を書いていたり、歴史に残る政治家ですがご両親も日本で超有名な俳優さんです。
安藤サクラの父親は奥田瑛二
奥田瑛二さんは、1950年3月18日生まれの日本の俳優、映画監督、画家で、多才な芸術家として広く知られています。俳優としては数々の映画やテレビドラマに出演し、映画監督としても成功を収めています。彼は、家族や多くの作品を通じて、長年にわたり日本の映画やテレビドラマシーンで重要な役割を果たしてきました。
プロフィール
- 生年月日:1950年3月18日
- 職業:俳優、映画監督、画家
- 配偶者:安藤和津(エッセイスト)
- 子供:安藤桃子(映画監督)、安藤サクラ(女優)
経歴
奥田瑛二さんは、小学校5年生の時に大友柳太朗主演の映画『丹下左膳』を観て俳優を志すようになります。1979年に映画『もっとしなやかに もっとしたたかに』で初主演を果たし、その後、1984年のテレビドラマ『宮本武蔵』や1986年の『男女7人夏物語』への出演で広く知られるようになりました。俳優としては、幅広い役柄をこなす実力派俳優として定評があり、今も精力的に活動を続けています。
奥田瑛二って知ってるけど代表作って浮かばんな
受賞歴
奥田瑛二さんは、その演技力で高く評価され、数々の賞を受賞しています。
- 1986年: 映画『海と毒薬』で、毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。
- 1989年:映画『千利休・本覚坊遺文』で、日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。
主な出演作品
奥田瑛二さんはこれまで多くのドラマや映画に出演してきました。
テレビドラマ
- 『宮本武蔵』(1984年)
- 『男女7人夏物語』(1986年)
- 『金曜日の妻たちへIII 恋におちて』
- 『花の乱』
- 『北条時宗』
- 『どんど晴れ』
- 『風のガーデン』
- 『八重の桜』
- 『花燃ゆ』
- 『99.9-刑事専門弁護士-』
映画
- 『海と毒薬』(1986年)
- 『千利休 本覚坊遺文』(1989年)
- 『極道記者』
- 『眠らない街 新宿鮫』
- 『皆月』
- 『少女〜an adolescent』
- 『洗骨』(2018年)
- 『Diner ダイナー』(2019年)
監督作品
奥田瑛二さんは俳優業にとどまらず、映画監督としても活動しています。
- 『少女 an adolescent』(2001年)で映画監督デビュー。
- 『長い散歩』(2008年)はモントリオール世界映画祭でグランプリを受賞するなど、高い評価を得ました。
近年の活動
現在も俳優として多くの作品に出演しており、最近の映画出演作には『かくしごと』『車軸』『花腐し』『クモとサルの家族』などがあります。また、映画監督としての最新作『今日子と修一の場合』の公開が控えています。
多才な芸術家としての影響
奥田瑛二さんは俳優としてだけでなく、映画監督や画家としても才能を発揮し続けています。映画やテレビドラマでの幅広い出演と、自身の監督作品によって、日本の映画文化に貢献している人物です。また、俳優としても幅広い役柄に挑戦し、観客に強い印象を与えています。
奥田瑛二さんの長年にわたる活躍は、俳優業にとどまらず、映画制作、芸術活動を通じて日本の文化に深く根ざした存在となっています。
監督もやってたのか
安藤サクラの母親は安藤和津
安藤和津さんは、女優の安藤サクラさんの母親であり、エッセイストやタレントとしても幅広く活躍している人物です。彼女の経歴は多彩で、メディアや社会に大きな影響を与えてきました。
プロフィール
- 生年月日:1948年3月6日
- 出身地:東京都台東区
- 職業:エッセイスト、タレント
- 配偶者:奥田瑛二(俳優・映画監督、1979年結婚)
- 子供::長女・安藤桃子(映画監督)、次女・安藤サクラ(女優)
安藤和津の経歴
安藤和津さんは、学習院初等科から学習院女子中・高等科を経て、上智大学文学部独文科に進学するも中退。その後、2年間のイギリス留学を経験し、幅広い知識を身につけました。1979年には俳優・映画監督の奥田瑛二さんと結婚。家族と共に支え合いながら、メディア業界でのキャリアを積み重ねました。
彼女のキャリアは、TBSラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO』で中継キャスターとしてデビューしたことから始まり、その後、TVリポーターやニュースキャスターとしても活躍しました。特に、CNNのメインキャスターとしての経験が光ります。現在は、教育問題や介護、食に関するテーマで講演会やトークショーを行い、情報番組のコメンテーターとしても注目されています。
安藤和津の主な出演作
安藤和津さんは多くのメディアに出演しています。
テレビ番組
- CNNデイウォッチ(1986年、テレビ朝日)
- ジャスト(2005年3月まで放送、TBS)
- たかじんのそこまで言って委員会(2007年5月~、読売テレビ)
- 情報ライブ ミヤネ屋(読売テレビ、金曜)
- ためしてガッテン(NHK総合)
- みんなの家庭の医学(朝日放送)
- 平成教育委員会(フジテレビ)
ラジオ番組
- テレフォン人生相談(2000年7月~2003年8月、ニッポン放送)
- 安藤和津TEPCOトークマルシェ(2005年4月~2011年10月2日、文化放送)
CM出演
- 資生堂「ベネフィーク エル」(1979年)
- 花王「アタック」(1987年)
- ハウスカレー「リアンデイキャンペーン」(1988年)
- 日立「フィットレディ」(1989年)
- 花王「アタック消臭ストロング」(現在)
社会活動
安藤和津さんは、福島県しゃくなげ大使や高知県観光特使、富山県高岡観光親善大使としても活動しています。また、メディア出演においても幅広く、多くのテレビ番組に登場しており、社会的なテーマに対しても積極的に発言しています。
メディア出演例
- NHK: 「ニュース シブ5時」「ごごナマ」「BSコンシェルジュ」など
- 日本テレビ: 「踊る!さんま御殿!!」「解決!ナイナイアンサー」など
- 読売テレビ: 「情報ライブ ミヤネ屋」
- TBS: 「サワコの朝」「ぴったんこカン・カン」など
安藤和津さんは、エッセイスト、タレントとしてだけでなく、社会活動家としても幅広く活躍し、メディアや社会に多大な影響を与え続けています。
安藤和津ってあんまよく知らんな
奥田瑛二は安藤家の女性陣に言われたい放題
奥田瑛二さんの本名は安藤豊明というそうです。
だから安藤家なのか
奥田瑛二さんが安藤家の女性陣から言われたい放題ボロカス言われていたと柄本佑さんが明かしています。
奥田瑛二さんは一人暮らしが長く、料理をするそうですが、せっかく料理をした最後に「これも、入れちゃえ」と入れたものが悪かったらしく安藤家の女性陣から
「お父さん最悪」
「なんでそれいれるの?」
「絶対別々のほうがおいしいじゃん!」
「だからお父さんと御飯食べるの嫌なんだよ」
と奥田瑛二さんが集中砲火を浴びたところに、柄本佑さんが「パピーやっちゃったね」とフォローを入れていたそうです。
奥田瑛二さんは柄本佑さんのことを義理ではなく自分の息子だと思っている。「親子になれたことに感謝する」と話したことを聞いて、安藤サクラさんは涙したそうです。
若い女を見つけると娘を偵察に行かせていた
奥田瑛二さんは娘と車に一緒に乗っている時に、六本木で髪の長い「好みの雰囲気の女性の後ろ姿」が見えると、娘にその女性の顔を見に行かせて偵察をさせていたそうです。父親の好みを把握していたため、どの程度好みのタイプに合致しているか、伝えていたそうです。
なかなか最低な父親だな
今の時代アウトだ
奥田瑛二は昭和気質の親父だった
奥田瑛二さんが千利休の役をやっていた時は毎日着物を着て、ふんどしを履いて、千利休としてマンションの中で生活していたり、昭和の父親のように、ちゃぶ台をひっくり返していたことを娘から暴露されていました。
孫2人ができてからは、だいぶ素直になったそうですが、孫とケンカして妻の安藤和津さんに「あなた大人でしょう!」と叱られたこともあるそうです。
ちなみに安藤サクラさんのお芝居が奥田瑛二さんにそっくりだと満島ひかりさんから言われていました。
義姉の安藤桃子は映画監督
柄本佑さんの義姉にあたる安藤桃子さんは安藤サクラさんの姉です。
安藤桃子さんは映画監督をしています。
桃子さんは2014年3月に一般男性と結婚しました。ロケで訪れた高知に移住して、子供を産みましたが、離婚したためシングルマザーとして高知在住のようです。
妹のサクラさんのことが大好きで、姉というより母の感覚で小さい頃には友人が来ると「私の妹に触っちゃダメ!!」と言っていたくらいで、柄本佑さんが旦那になったことで、この人なら「バトンを渡せる」と思って、「なんて、この人しかいないんだ!!」と思い、「よろしくお願いします」と柄本佑さん本人に伝えたそうです。
母の和津さんも柄本佑さんをみて「この人しかいない」と思ったそうです。
家族愛が強いんだな
コメント