メジャーリーグで二刀流として前人未踏の活躍ぶりが大きく取り上げられている大谷翔平選手。
父親は「まさか自分の息子がプロ野球に行くことやメジャーに行くなんて思いもしなかった」とインタビューで答えていましたが、生まれ育った実家での教育や生活ぶりがとても興味深く、両親と兄、姉の5人家族で全員高身長。祖父も身長180cmあったようです。
今回は大谷さんのルーツ岩手県奥州市の実家や家族についてまとめましたのでご覧ください。
じいちゃん身長たかっ
大谷翔平の岩手の実家は金持ちではなく普通の家庭
大谷翔平さんの生まれ育った実家のある場所は岩手県奥州市です。
盛岡市から奥州市まで電車や車で1時間ほどで行けるようです。
奥州市出身の有名人だと
- 阿部渉(NHKアナウンサー)
- 久慈暁子(フジテレビアナウンサー)
- 大瀧詠一(歌手)
- 小沢一郎(政治家)
意外と大物いるな
今の若いやつは大瀧詠一とか小沢一郎のこと知らないだろうな
大谷家は長女の生まれた翌年の1993年7月に岩手県奥州市水沢に引っ越しました。まだ、大谷翔平さんの生まれる前ですが、平屋の一軒家の社宅に住んでいたそうです。家賃は16,000円だったと言われています。
大谷翔平さんが姉体小学校を卒業しているため、この付近に社宅があったかもしれません。
その後、引っ越しをし、ミサワホームで建てたとも噂される奥州市の自宅に住んでいたとされています。
どうやら再度、引っ越しをされたようで、現在の大谷家の自宅は不明です。
大谷選手の活躍でテレビでも実家が大々的に報じられたことで有名になりすぎたため、防犯的な意味合いがあると思われます。
父親の大谷徹さんは現在、岩手県金ヶ崎町の金ヶ崎リトルシニアで監督をしているため、この付近に住んでいるのではないかと言われています。
これだけ、有名になったら家族も大変だな
実家の建て替えを提案するも拒否
大谷翔平さんがプロに入って億の年俸を稼ぐようになり、実家の建て替えを提案をしましたが、祖父から「ちゃんと貯めておきなさい」と言われ、結果的に自宅のリフォームはしましたが、費用の負担をする申し出も断られたそうです。
兄の龍太さんは結婚していて、岩手県内でマンションを3000万円で購入しましたが、当然大谷翔平さんからの金銭援助は一切ありませんでした。
おれならすぐお願いするのに
クソじじぃ
大谷翔平の父は岩手出身|母は横浜出身
父の徹さんと母の加代子さんは1986年に結婚しています。
- 名前:大谷徹(とおる)
- 出身:岩手県
- 生年月日:1962年
- 年齢:61歳
- 身長:182cm
父の徹さんは岩手県北上市和賀町生まれです。
黒沢尻工業高校卒業後は三菱重工㈱に入社し地元岩手を離れ、神奈川県横浜市に引っ越しました。最初の配属先は総務課だったようです。
野球部所属で外野手としてプレーし、大谷翔平選手と同じく、右投げ左打ちだったようです。24歳の時に引退し、その冬に加代子さんと結婚しました。
その後、1991年に関東自動車工業㈱(現 トヨタ自動車東日本㈱)に転職しました。
父・徹さんの仕事の勤務体制が昼番と夜番があったため、夜勤で夜通し働くことも多く、多忙でした。そのため翔平さんの兄の長男:龍太さんとの野球の時間を取ることができなかったことを後悔されていました。
そのため、後悔しないようにと次男の翔平さんが水沢リトルリーグ入団と同時にコーチ就任し、一関リトルシニアでもコーチをして小2~中3までの7年間大谷翔平さんを指導しました。
現在は金ヶ崎リトルシニアの監督をされています。
母は元バドミントン選手の大谷加代子
- 名前:大谷加代子(旧姓:熊澤)
- 出身:神奈川県横浜市 旭区
- 生年月日:1963年
- 年齢:60歳
- 身長:170cm
小学生からバドミントンを始めて中学高校では全国大会へ出場し、卒業後は三菱重工に入社。バドミントン部に所属して国体へ出場するなど結婚するまでバドミントン選手として活躍し、夫の徹さんと社内恋愛で結婚しました。
大谷翔平さんがプロ野球で活躍してからも加代子さんが水沢市内の焼肉屋でのパートを続けていたことが話題になりました。メジャー移籍後の2018年に息子のサポートのためにパートは辞めたようです。
母・加代子さんの地元は旭区の鶴ヶ峰だと言われています。
鶴ヶ峰稲荷神社は大谷翔平さんが幼少期にお母さんとよく一緒にお参りしていた神社だそうです。
大谷が行ったなら、行きたくなってきた
みんな興味持っちゃうよね
大谷翔平は実家で兄に可愛がられ姉から学習する優等生
大谷翔平さんの両親は子供の前では夫婦喧嘩をしない様に気をつけていたそうです。
大谷翔平さんには7歳年の離れた兄と2歳上の姉がいます。
実家では2階にあった部屋で兄と共有でしたが、家にいるほとんどの時間をリビングで過ごしていました。
夕飯を待ちきれずに寝てしまうことも1週間のうち2~3回はあったと加代子さんは語っています。実家にはテレビが一台しかなく、同じ場所に自然と家族全員が集まってテレビを観ていたそうです。
金なかったんだな
うるせえよ
幼い頃は歳の近い姉と些細なことでケンカをしていました。そういった、ケンカで2人を叱ることはありましたが、大谷翔平さんが悪さをして怒られることはなかったそうです。
姉が買ってもらった自転車を内緒で乗った上にカゴを壊してしまったことがあるが、本人は悪びれもせず、どこ吹く風だったこともあったそう。
いや、叱れよ
兄の大谷龍太は社会人野球コーチ
長男で兄の大谷龍太さんは社会人野球のコーチをしています。
1988年3月20日生まれの36歳です。(2024年時点)
兄の龍太さんも幼い頃から野球をしていて、中学・高校も野球部に所属。中学時代には4番を任されていました。
岩手県立前沢高校を卒業後は一般企業に就職して水沢駒形野球クラブで野球を続けていましたが、2010年に四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグスに入団しています。
2年で退団しその後、2012年にトヨタ自動車東日本硬式野球部に入り現在はコーチを務めています。
お兄さんは優しくて何でも受け止める、長男気質と言われています。
兄の龍太さんとは7歳離れているため、実家にいる時、翔平さんはとても可愛がってもらっていました。
姉の大谷結香は看護師をしていた
長女で2歳上の姉は大谷結香さんです。
下の名前はなんて読むんだ?
読み方はわかっておらず、「ゆか」か「ゆうか」と読むと言われています。
1992年生まれなので、2024年時点で31歳になります。
身長は168cmあるそうで、学生時代はバレーボールをしていました。
岩手県内の看護系大学を卒業後に横浜市内で看護師をしていたらしく、花巻東高校で社会の先生で野球部部長の流石裕之(さすがひろゆき)さんと結婚しました。
じゃあ今は、流石結香ってことか
姉は朗らかで優しい性格だそうです。
末っ子気質の次男坊・大谷翔平|叱られることがない優等生
末っ子だった大谷翔平さんは叱られたことがほとんどない優等生だったそうです。姉が叱られたことを見て、自分はやらないようにしたり、周囲を空気を読む察知能力が高かったり、要領はとても良い少年だったと両親が明かしています。
しかし一度、父の徹さんが叱りつけたことがあるそうです。
ハリーポッター事件
当時『ハリーポッター』が流行していて『ハリーポッター』のキャラクターが描かれたノートの表紙が買った当初から少し剥がれていて、それを気にした大谷少年は修復しようと自分で色を塗るも、思うようにならず、泣き叫んでしまい、徹さんが「そんな小さなことで怒るんじゃない!」と叱りつけたことがあったそう。
大谷翔平さんを叱りとばしたのは、後にも先にもこの「ハリーポッター事件」だけだったそうです。なので、両親が翔平さんを「叱った」記憶はほとんどないと話していました。
今は大谷選手が試合中に感情を表して怒るシーンを見ることは滅多にないですが、昔はお気に入りの本の端が折れてたりすると大谷少年は「怒る」ことがあったそうです。
意外と細かいところを気にする少年だったのか
昔からお金や服に興味なし
今でもお金やファッションに執着がないと言われる大谷翔平さんですが、中学校の修学旅行のお小遣いで持って行った、お金は家族にお土産を買ってきてくれた以外のお金は使わずに、余ったお金は両親に返しました。
おれだったら、土産も買わずにジュースとか漫画買うぞ
くそじじぃ
オシャレに興味を持ち始めるはずの年頃になっても洋服に興味はありませんでした。高校生の時、正月休みで実家に帰った時に友人と出掛ける時の服がなく、自宅にあった兄のジーンズや母のポロシャツを着て出かけたりしていました。
地元岩手でのびのびと育てられた大谷少年
両親から子供の頃からやりたいように、やらせてくれたと大谷翔平さんが語っていた通り、人生の選択は好きなようにさせてもらっていたようです。
幼稚園年長くらいから水泳も習い始めていました。小6までは週末の野球と並行して練習していて、水泳でもオリンピックを目指せるほどの逸材でした。
大谷翔平が野球を始めたのは小2の秋頃
小2の終わりに水沢リトルリーグに入り野球を始めました。
きっかけは見学会に参加したことと、母の友人の息子がそのチームで野球をやっていたことです。
父親もコーチとして入団しており、徹さんの週末は夜勤明けで帰ってきたら寝ずに息子の練習に付き合っていました。
自宅へ帰ってからは一緒に風呂に入ってコミュニケーションを取っていました。自宅では練習はせず、普通の親子として接するように努めていた様です。
冬は雪が積もるため、屋内の練習場で汗を流していました。
両親は結果を追い求めることよりも、楽しく野球してもらうこと、楽しそうにプレーしてる姿が嬉しかったそうです。
大谷少年はオンとオフがはっきりしていて、野球に取り組む時にはもの凄い集中力を発揮していても、休憩中はチームメイトとじゃれ合って遊んだりしていました。
中学時代はリトルリーグで硬式野球をしていたため、水沢南中学校の野球部に所属はしていましたが、籍だけ置いているだけで、試合でも控えだったことを明かしています。
中学卒業後は隣町の花巻東高校へ入学します。
中学卒業時点で、身長は今くらいの190cmありましたが体重は60kgほどしかありませんでした。
昔は細かったんだな
牛乳を水のように飲み、一日1L飲んでいたり、肉が好きで安いアメリカ産の牛肉を実家では食べさせてもらっていました。
シーズンオフで日本に帰国した時に岩手の実家に帰っているかは不明でした。
しかし、オフにしかできない広告やスポンサー回りなどの仕事も多くあるため、東京都内のタワマンに滞在していることが多いようです。
「17」と縁のある大谷翔平
エンゼルスでの大谷の背番号といえば「17」。この数字には何かと縁がある。
「花巻東高で1年生のときにもらった背番号は17でした。エンゼルスと契約したのは’17年で、メジャーで新人王を獲得したのも日本人では、イチローさん以来、17年ぶり。’21年に松井秀喜さんが持っていたメジャーリーグの日本人最多本塁打記録を更新したのも17年ぶりのことでした」(前出・スポーツ紙記者、以下同)
つながりがある数字のようだが、極め付きは……、
「“翔平”は合計で17画。運命で決まっていたのかもしれませんね」
週刊女性PRIMEより引用
翔平の画数が17画ってスゴイ
たまたまだろ
名前の由来は「源義経」
大谷翔平さんの名前は奥州平泉にゆかりのある源義経が由来だそうです。「義経」とそのまま名付けることも頭をよぎったそうですが、源義経(牛若丸)の身軽なイメージと「翔」の字が好きだったことと平泉から「平」を取って「翔平」と名付けられました。
翔平って適当につけたわけじゃないんだな
まとめ
大谷翔平の実家は…
- 岩手県奥州市にある
- 過去に実家がメディアで公表されていた
- 現在は、引っ越し自宅は不明
- 父の徹は岩手出身
- 元社会人野球の選手
- 現在は金ヶ崎リトルシニアで監督
- 母の加代子も元バドミントンの国体選手
- 両親は三菱重工で出会った
- 兄の龍太は7歳上で
- トヨタ自動車東日本 野球部でコーチ
- 小さい頃は弟の翔平をかわいがった
- 姉の結香は2歳上で
- バレーボールをしていた
- 元看護師
- 花巻東高校野球部部長の流石裕之と結婚
- 末っ子の大谷翔平少年は
- 両親から叱られない子供だった
- 昔からお金や服に興味がなかった
- 小2で野球を始め中3まで父に教わっていた
- 中学卒業後は実家を離れて花巻東高校へ入学
加代子さんは息子の大谷翔平選手が投げる試合は見ないようにしているそうです。
2017年あたりから大谷選手の家族がメディアに登場することはなくなり2023年のWBCでも家族への取材は禁止とされていました。
これだけ注目されてる大谷への取材がさらに加熱したら家族も大変だからな
しょうがないね。…結婚相手がきになるけど
大谷も大変だな
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